古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

卑弥呼の鬼道とは

2017-01-15 12:19:08 | 歴史
もう一度、魏志倭人伝の記述からです。
Wikiより
倭国には元々は男王が置かれていたが、国家成立から70〜80年を経たころ(漢の霊帝の光和年間)倭国乱れ、歴年におよぶ戦乱の後、女子を共立し王とした。その名は卑弥呼である。女王は鬼道によって人心を掌握し、既に高齢で夫は持たず、弟が国の支配を補佐した。1,000人の侍女を持ち、宮室や楼観で起居し、王位に就いて以来、人と会うことはなく、一人の男子が飲食の世話や取次ぎをし、巡らされた城や柵、多数の兵士に守られていた。

要約すると
周囲を高い塀や見張の高台で囲み、周囲には兵士を配置して、誰もが勝手に入る事は出来ない。
塀の内側には、1,000人の侍女が一緒に生活している。
中央には、卑弥呼が生活と祈祷を行う宮殿がある。誰も卑弥呼の祈祷を見ることは出来ず。
唯一、弟が卑弥呼の意思の伝達役であった。
かなり鉄壁な秘密主義、密室政治です、なのに、不思議にも
「王位に就いて以来、人と会うことはなく」はずなのに「女王は鬼道によって人心を掌握」と鬼道と呼んでいます。
大陸の役人に伝わった卑弥呼は一般の人間の能力を超えた超人であり、
祈祷の結果伝えられた指示も理解できないビックリ内容であったでしょう。
邪馬台国の位置でも、南へ水行10日陸行30日とあいまいにしたのも、卑弥呼の住み家を知られたくなかったからです。

卑弥呼が行った鬼道とは、どういう物でしょうか。
仮に、卑弥呼=日巫女 であるなら現在の神社の祖と云う事です。
この鬼道が、日本の神道の始まりでもある様に思うのですが。

時は、魏蜀呉の三国時代、大陸でも大きな戦争が繰り返されていて、弱肉強食の時代です。
儒教、道教など、国をまとめるための教えがあり、人の生き方に悟りを開く仏教もありました。
古代中国では、更に古くより 鬼 も登場していたようです
太古の時代は、鬼は、鬼神の事で神様であったようですが
三国時代の、鬼は不可思議な現象や異常事象の様な、通常でない、恐ろしい物の例えであったと思います。
古代中国から見た倭国も、徐福の伝説にある様に仙人の住む島と云うイメージがありました。
魏志倭人伝が伝える鬼道とは、当時の中国から見て
理解できない神秘的な儀式、合理的でない呪術だったのです。
儒教、道教とも異なるものだったのでしょう。
やはり 鬼 ですので、薄気味悪い、恐ろしいタイプの祈祷と映った様です。

一方、当事者である倭国の30国の男王たちは、その祈祷を受入ます。
その結果、倭国大乱が治まります。

ここでも私の勝手な考察です。
卑弥呼は
1、成長の過程で不死の仙人になります。(残念ながら、不老ではない様です)
2、その能力は、天空の神々と死者との会話です。
  水害や地震など、人の力ではコントロールできないものが神の仕業ですが、
  卑弥呼を、この神々にお願いをすることが出来ました。
  霊媒師として、すでに亡くなった国王たちとも会えたのです。
3、その祈祷の方法は不明ですが、その内容は合理的な大陸人には理解できない。
  イエスキリストが生まれつき神の子であるなら、
  卑弥呼は高天原の神々と黄泉の国の死者と交流が出来る超人になるわけですが
  この様な思想が大陸にはないので、理解不能だったのでしょう。
  九州北部の国王では、自然現象にたいする不安と先祖崇拝があったので
  不死の生命力をもつ卑弥呼の存在は、信仰の的になったのです。
これが、キリスト教、仏教でもなく、儒教や道教でもない、日本独特の仙人思想(後の神道)の始まりです。
たぶん倭国最後の仙人は女性という事でしょうか。
4、祈祷の様子を想像させるのが、神楽(かぐら)の巫女舞です。
  祭祀を司る巫女自身の上に神が舞い降り(神がかり)、神託を下す舞で、卑弥呼の祈祷を想像させますが、
  現在の神社同様、後に出来た物ではないでしょうか。

  


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