すでに成人していて、母国語をしっかりと身につけている外国人が、日本語を学習する場合に困難を感じる問題の一つに、「は」と「が」の使い分けの問題があると佐治圭三は述べている。その難しさの理由について、彼は次のように分析している。
「は」と「が」をも含めて、「助詞」と呼ばれる文法機能を担う形式が、日本語にはたくさんあって、それらが前後の語句を結びつけたり、いろいろな関係を示したりすることによって、日本語の文はでき上がっていくのであるが、外国語の多くは、助詞に相当するような形式をほとんど持たないか、持っていても日本語の助詞のあり方と違っていて、そのために助詞全体に対する理解が困難であることが基底にある。
だが、助詞の内部でも困難の度合いはそれぞれに異なっている。たとえば「と」や「から」といった助詞の用法は比較的やさしく、「だけ」よりは「しか」の方が難しいと言った違いがある。が、「が」と「は」は、「主語」「主格」「主題」といった日本語の構文の最も重要な部分にかかわり、述語と共に日本語構文の根幹を担うものであるだけに、その現れ方も複雑であって、それが「は」と「が」の理解の困難な原因の一つになっている。
(中略)「は」と「が」は、前者は、係助詞、あるいは提示助詞と呼ぶべき助詞であり、後者は格助詞のひとつであって、その種類、その性格を異にするものであるために、説明も複雑にならざるを得ず、したがって、理解もはなはだ困難なのである。
いかに複雑な説明でも、それが理にかなったものであるならば、時間はかかっても、外国人にも理解できるはずであるが、現実は必ずしもそうではない。そのことが、外国人にとって「は」と「が」の理解を困難にしている原因の一つである。(佐治圭三(1959))
中国人にとってもそれは例外ではない。中国人の学習者も日本語を学習するとき、「は」と「が」の使い分けについて困難を感じる。佐治が指摘したように、「は」と「が」は、日本語の構文の最も重要な部分にかかわるのである。そのため、使い方も複雑で、それが「は」と「が」の習得が困難である原因の一つになっている。また、中国語の中に、「は」と「が」のような使い分けをする助詞がないことも原因の一つである。
会話をするときは、「は」か「が」を使わなくても意味がほとんど通じるので、気にする必要はない。文章を書くときは、「は」か「が」を適切に使わなければ意味が通じない場合があるので、気にしなければならず、その使い分けを身につけなければならない。私は長年日本語を勉強してきたが、文章を書くときには、今でも「は」か「が」のどちらを使えばよいか分からなくなり、使い方を間違えることがある。ほかの留学生もこのような感想を持っているようである。日本人は「は」と「が」を自然に使い分けることができるが、その使い方の説明を求められると、難しい、説明がつかないなどと、言葉を濁す日本人も少なくない。これによっても、「は」と「が」の使い分けの難しさがわかる。
中国人の日本語学習者が「は」と「が」の使い方を習得する過程で、数多くの原因によっていろいろなエラーを生じることが予想できる。ただし、本稿では、母国語による影響に関することは論じない。中国人の日本語学習者が「は」と「が」の使い分けをどれぐらい身につけているのか、またそれはどんな傾向を示しているのか、どの辺りに揺れがみられるのかを確かめ、そこから中国人の日本語学習者に対する適切な指導法を考案する。この指導法が、「は」と「が」の使い分けに困っている中国人の日本語学習者の役に立てば幸いであると思う。これが本稿の目的である。
「は」と「が」の使い分けは日本の構文の基本にかかわる重要な問題であるので、これまでにも、様々な学説が出されてきた。以下に、「は」と「が」の使い方を中心に、重要な学説を紹介する。「は」と「が」は、従属節を持たない文か従属節を持つ文かによって、使い方が違ってくる。学校文法の中では文の種類をどのように定義しているのか、また学校文法と異なる立場に立つ学者はどう定義しているのかを次に示す。
学校文法では、文の構造上の分類として、文を単文、複文、重文という三種に分けている。それぞれの定義は次のようである。
松下大三郎の分類(『改撰標準日本文法』1928)
松下は、従来の構造上の分類としての単文、重文、複文の区別を排除している。新しく「単断句」と「連断句」との二種に大別する。「単断句」とは本来一つの断句であって分解して二断句以上にすることの出来ないものをいう。「連断句」とは二つ以上の断句が相統合されて一断句となったものをいう。すなわち、「単断句」は従句を含まない文、「連断句」は従句を含む文である。従句はいずれも自己としては意義が終止している。だから部分としては一つの断句である。ただ全体として他へ従属している。「単断句」は始めから終わりまで一続きで、途中に切れたところがなく、「連断句」は途中に切れたところがある。
山田孝雄の分類(『日本文法学概論』1936)
山田は、文を「単文」と「複文」とに分け、複文をさらに「重文」、「合文」、「有属文」というふうに分けている。一つの句が運用されたものが「単文」で、二つ以上の句が一つの文として運用されたものが「複文」だということになる。「重文」は前の説明と同じものである。「合文」は、重文のように前後の二句が対等の資格であるが、単に並立するのではなく、合同して一つの新しい思想を表しているものをいう。形の上から重文と区別すると、重文は上区の述格を連用形にしまたは接続助詞「し」を加えて重ねる。「合文」は「し」以外の接続助詞をつけて二者を結合する。「有属文」は附属性の句をもっている文をいう。
三上章の分類(『続・現代語法序説――主語廃止論』1959)
三上は、活用形の陳述度によって文を「単式」と「軟式」と「硬式」とに分けている。補語を食い止めるか否かによって、活用形の構文的機能を大きく「単式」と「複式」とに二分する。補足語を食い止める力のない中立法を「単式」といい、補足語を食い止める力のある条件法や終止法を「複式」という。
連体法に収まるか否かによって、「複式」を更に「軟式」と「硬式」とに分ける。連体に収まるような勢を持つ条件法を「軟式」といい、収まらない、あるいは収まりにくい勢の終止法を「硬式」という。「単式」は最も軟らかく(弱く)、「硬式」は最も硬く(強く)、「軟式」はその中間である。
学校文法の単文、複文、重文という三分法は、これまで多くの学者たちに議論されてきた。それは西洋文法の直訳であり、日本語の事実に即していないという批判がある。その原因は西洋文法の「文は主語と述語からなる」という規定は、日本語の「文」の認定に当てはめることが出来ないことにある。三上はこのような学校文法の反論者の一人であり、主述関係の回数で文を分類するなどというやり方に反対している。
三上は「主語廃止論」を提出し、伝統的な「文は主語と述語からなる」に対して、「文は述語といくつかの補語からなる」と提唱している。すなわち、英語が主―述の二本建に対して、日本語は述語一本建であると言うことを主張している。三上はこのような主述関係を認めず、それでできた学校文法の分け方に反対し、述語の陳述度により「単式・複式」の論を初めて出しているのである。
松下は従来の学校文法の「単文」、「重文」、「複文」の区別を排除して、「単断句」と「連断句」に分ける。そのわけ方により、学校文法で「単文」、「複文」、「重文」などは皆「単断句」になる。山田には「合文」と「有属文」という名前が見えるが、だいたい英文法の分類をそのまま取り入れたものである。
以上、学校文法と三人の学者の文の分類の違いを見てきた。次は、三人の学者の分け方の相違点を分析してみる。
学校文法で単文、複文、重文という三種類が並列に並べられるのに対して、松下、山田、三上は三人とも文を「単文」と「複文」に分けるという一次分類の共通点がある。(呼び方が異なるが、比べやすいようにここでは、単文と複文に統一することにする。)しかし呼び方も異なり、指す内容も違うところが多い。山田は、「単文」と「複文」という呼び方である。また、松下と三上は、それぞれ「単断句」と「連断句」、「単式」と「複式」と呼ぶことになる。松下が二次分類をしないのに対して、山田と三上はさらに「複文」を二次分類している。山田は「重文」と「合文」と「有属文」に分けており、三上は「複式」(複文)を「軟式」と「硬式」に分けている。上の分類から、松下が最も簡略な分け方をしているのに対して、山田は最も詳しく分けていることがわかる。
しかし、それぞれの定義から見れば分かるように、定義の内容と分ける基準に違いがあるので、そのわけ方を同じに扱ってはいけないと思われる。その分ける基準で、例文を通して見てみよう。例えば、
(1) 砂白く松青し。(松下1928)という文を、松下は「単断句」(単文)と呼ぶ。始めから終わりまで一続きで、途中に切れたところがないことで「単断句」と判断しているのである。このわけ方により、学校文法で「単文」、「複文」、「重文」などのようなものは皆「単断句」になる。範囲が明らかに違うのである。この文は、山田によれば「複文」になる。さらに細かく言えば、いわゆる「重文」である。同じ文は、三上によれば、中止連用形は補足語を食い止める力がないので、「単式」(単文)になる。
(2) 花咲き、鳥鳴く。(山田1936)この文も、山田によれば、「重文」になるが、三上によれば、「単式」になる。
(3) 誘われれば、いやと言えない。(三上1959)(3)(4)は三上によれば、補足語を食い止める力のある条件法や終止法であるので、「複式」になる。さらに、(3)は「誘われれば、いやと言えない性分」というような名詞句に収まる勢を持つので「軟式」になる。(4)は「誘われたが、行きにくかった事情」というような名詞句を作りにくい。このような名詞句に収まりにくい勢をもつので、「硬式」になる。すなわち、三上によれば、(3)(4)は複式である。さらに、詳しく言えば、(3)は軟式で、(4)は硬式である。
(4) 誘われたが、行きにくかった。(三上1959)
以上、一般によく知られている学校文法と三人の学者の学説を紹介して比べてみた。この中で、本研究において調査用の問題文を分析する際には、その学校文法の分類を採用する方針である。この学校文法は批判されてきたが、日本の学校においてはいまだに採用されている。ほかの理論を比べれば、この学校文法が複雑ではないので、日本語学習者が日本語を学習する際に理解しやすいではないかと思われているためである。
以上のことから、各学説で構造上の基準が違うことがわかる。学校文法では、文を単文、複文、重文に分け、松下では、文を「単断句」と「連断句」に分け、山田では、「単文」と「複文」に分け、三上では「単式」と「複式」に分ける。山田はさらに「複文」を「重文」と「合文」と「有属文」に分け、三上はさらに「複式」を「軟式」と「硬式」に分ける。前にも述べたように、三人とも文を「単文」と「複文」に分けるという一次分類の共通点がある。これにより、文を分析するとき、先に単文と複文に分ける必要があることが分かる。
( 5) 太郎は学生です。(久野ワ1973)
( 6) 太郎が学生です。(久野ワ(1973)
( 7) 月がさえて、雁が高く飛ぶ。(山田孝雄1936)
( 8) あれは櫻で、これは桃だ。(山田孝雄1936)
( 9) 明日の朝雨が降っていれば、遠足は中止だ。(南不二男1974)
(10) 東西の市は人が集まるところである。(山田孝雄1936)
久野によれば、(5)は極めて自然な文であるのに、(6)は文脈がないと座りが悪い文である。単文には「は」と「が」の使い分けの複雑さを感じる。(7)(8)は、学校文法でも山田文法でも「重文」と呼ばれ、「〜が〜が」か「〜は〜は」が使われる。(9)(10)は学校文法では「複文」と呼ばれ、「〜が〜は」が使われたり、「〜は〜が」が使われたりする。
このように、学校文法では、単文、複文、重文に分けるが、「は」と「が」の使い分けは、重文よりも単文と複文のほうが複雑で分かりにくい傾向にある。すなわち、同じような単文でも文の性質により「は」と「が」の使い方が違うし、同じような複文の中でも従属句により「は」と「が」の使い方も違うことがあるのである。
第一章の第一節では、文の構造上の分類を紹介して分析していた。「は」と「が」の使い分けを究明するには、構造上の分類だけではなく、単文の性質上の分類と複文の従属句の分類を明らかにしなければならない。単文の性質の分類には、松下大三郎、佐久間鼎、三尾砂などの学説がある。複文の従属句の分類には、南不二男と野田尚史の学説がある。
第一項では、文(単文)の性質について代表的な学者の分類を列挙する。
松下大三郎の分類(『改撰標準日本文法』1928)
松下は、断句は断定を表す一続きの言語であると述べている。(三尾砂の解釈によれば、断句は文と理解していいと言っている。)松下は、その表す断定の性質によって、断句を「思惟断句」と「直観断句」に分けている。「思惟断句」というのは、判断を経た文である。そのうち、助詞「は」によって題目(判断の対象)が提示されている文を「有題の思惟断句」という。「花が咲いている」というような文は、題目(判断の対象)を文の上に持っていない。判断の対象は庭に花の咲いている状態なのである。そして庭の状態は直感されたままで概念になっていないから言語に表されない。すなわち題目語のない文となっている。こういうのを「無題の思惟断句」という。「直観断句」を「概念の直観断句」と「主観の直観断句」に分けている。
佐久間鼎の分類(『日本語の特質』1941)
佐久間は言葉の働きを「表出」「訴え」「演述」という三通りに分けている。その中の「演述」に相応する文は、「いいたて文」と命名され、多くの場合に主語の存立を必至とするものとその組み立てを特徴付けられている。形式的特徴として、「表出」に相応する文は述語がなく、「訴え」に相応する文は主語がなく、「いいたて文」は主語述語がある。
「演述」というのは、見聞した物や事についてその容子を述べたり、ある事柄について自分の考えを言い出したりする、つまり叙事である。事実に即した、ありのままの報告である。それの表現が「いいたて文」である。「いいたて文」に二種あって、一つは「物語文」で、事件の成り行きを述べるものである。一つは「品定め文」で、物事の性質や状態を述べたり、判断を言いあわしたりするものである。「物語文」は「動詞文」で、「品定め文」は「名詞文」になっているものである。「品定め文」はさらに分かれて、「形容詞・形容動詞文」と「名詞文」との二種を包含するものである。「物語文」は、助詞「が」をとるのが普通であり、「品定め文」は助詞「は」をとるのが普通である。
三尾砂の分類(『国語法文章論』1948)
三尾は文が場との関係原理によって、文を「場の文」と「場をふくむ文」と「場を指向する文」と「場と相補う文」との四つに分類し、それぞれを「現象文」「判断文」「未展開文」「分節文」と名付けている。
「現象文」は現象をありのまま、判断の加工をほどこさないで、そのまま表現した文という。現象と表現との間に話し手の主観がまったくはいりこまないのであるから、そこには主観の責任問題はない。現象文は助詞「が」を持ち、述部が動詞で時所的制約のもとに成り立っているものであり、現象をそのまま表現したものである。
「判断文」は論理学でいう命題、すなわち「AはBだ」(甲は乙だ)の文という。「体言+は+体言+だ」という形をとるものが判断文の典型的なものである。(「典型的な判断文」という)述部の体言は、形容詞の場合でも、形容動詞の場合でも、形容動詞的な副詞の場合でも、動詞の場合でも、判断文のうちに入れられる。「判断文」は、「題目―解説」の構造を持つ文である。「判断文」には「転位の判断文」がある。「転位の判断文」は「甲は乙だ」が転位して「乙が甲なのだ」になる文である。この「転位文」は主概念の範囲と賓概念の範囲とが一致している場合だけ成り立つとしている。
松下は「断句」(文)を「思惟断句」と「直観断句」に分けている。さらに、前者を「有題の思惟断句」・「無題の思惟断句」に分け、後者を「概念の直観断句」・「主観の直観断句」に分けている。佐久間は言葉の働きを「表出」・「訴え」・「演述」に分けている。「演述」を「いいたて文」と呼び、「いいたて文」を「物語文」・「品定め文」に分けている。三尾は文を「現象文」・「判断文」・「未展開文」・「分節文」に分けている。
松下の「概念の直観断句」と「主観の直観断句」、佐久間の「表出」と「訴え」、三尾の「未展開文」と「分節文」は、共通性を持っている。例えば「雨!」というのを三人とも文として認めている。ただこれは文と呼ばれても、不完全な文である。
そのような不完全な文は「は」と「が」の使い分けに深い関係がないと考えられるので、ここでその相違点を分析しないことにする。以下は松下の「有題の思惟断句」と「無題の思惟断句」、佐久間の「物語文」と「品定め文」、三尾の「現象文」と「判断文」について、「は」と「が」の使い分けに緊密な関係があると思われるので、その相違点を詳しく比べてみる。
松下は「思惟断句」を「有題の思惟断句」と「無題の思惟断句」に分けている。「有題の思惟断句」は、判断を経て助詞「は」によって題目(判断の対象)が提示されている文である。「無題の思惟断句」は、題目(判断の対象)を文の上に持っていなく、すなわち題目語のない文である。例えば、
(11) 今宵は十五夜なり。(松下1928)という二つの文を挙げてみる。(11)には、「今宵」は題目として提示されていて、すなわち「題目語」である。「今宵」の後に、「は」によって主題が提示されている。それに対して、(12)には、題目(判断の対象)を文の上に持っていない。判断の対象は庭に花の咲いている状態なのである。「花」は題目語ではなく、文の主格語である。「花」の後に題目を表さない「が」が使われる。すなわち、松下によれば、「有題の思惟断句」の中に「は」を使い、「無題の思惟断句」の中に「が」を使うことになる。
(12) 花咲きたり。(松下1928)
二人の論理は共通性のほかに次のような差異性もある。佐久間の「品定め文」には、さらに「形容詞・形容動詞文」と「名詞文」との二種に分けられる。それに対して、三尾は名詞、形容動詞のほかに動詞の場合も考慮している。ただ、述部が動詞の場合には主部の語が主語と主語ではない場合があることを指摘している。例えば、
(13)雨は降っている。(三尾1948)「雨は降ってる」という文について、三尾は次のように述べている。
(14)二階は先生にかしてある。(三尾1948)
雨が降ってるという現象をそのまま表現したのではなくて、「雨は?」という題目を与えられて、それについて降ってるか降っていないか止んだかを考えた上で「降ってる」という解決をただ一つだけ選んで、題目に結合したものである。二つの概念を主観の内面的な統一作用によって統一したものである。(13)は主部の語が主語である場合である。(14)は主部の「二階」がこの文の主語ではなく、述部「かしてある」の目的語の場合である。(三尾砂(1948)
このように、三尾は動詞を含めて「判断文」になる場合があるということを指摘しているが、佐久間はこのような例文に触れていない。三尾はこのほかに、「転位文」という説を初めて出している。
松下の「有題」「無題」という対立概念を受けて、三上(1953)は無題の文を示して、さらに有題には顕題と陰題の場合があると述べている。野田尚史(1984)、丹羽哲也(1988)は三上の学説を受けて、「有題文」・「無題文」という呼び方を始める。ただそれらは松下の論理と範囲が違うのである。例えば、松下によれば、有題の文にはすべて「は」が使われる。三上は陰題という概念を出してから、「有題文」の範囲を広げた。「陰題文」は「有題文」と呼ぶが、「が」が使われる。すなわち、三上以降の「有題文」には「は」が使われている文だけではなく、「が」が使われている文も含めている。これから、「有題文」を言う場合はすべて三上以降の「有題文」の意味である。
三尾の「判断文」は「題目―解説」構造を持つ、「有題文」であると理解されている。一方「現象文」については、「無題文」であると理解されている。これについて野田尚史と丹羽哲也は反対の意見を持っている。
野田(1996)は、「現象文」というのと「無題文」というのでは、一見、同じものを指しているように見えても、その規定は根本的に違うことであると指摘している。
現象文というのは、判断文と対立させた文の分類である。「現象文」と「無題文」、「判断文」と「有題文」との間に対応関係がないことは、丹羽哲也(1988)にも詳しく論じられている。
現象文の規定は……主題をもっているかどうかではなく、話し手の判断が加わっているかどうかということが中心になっている。そのため、主題を持っていないと考えられる文でも、話し手の判断が入っているということで、現象文ではなく判断文に分類されることがある。
一方、無題文というのは、有題文と対立させた文の分類である。これは、文が主題を持つかどうかという点から分類したものである。
このような現象文と無題文は、重なる部分も大きいが、基本的にはまったく別のものである。(野田尚史(1996))
以上は、文の性質の分類として、松下、佐久間、三尾という三人の学者の学説を紹介して、その共通性と差異性を比べてみた。三つの学説とも「は」と「が」の使い方の学習として欠かせない理論である。このほかに、これらの学説を受けて発展させる三上の学説は今でも影響力がある。
次は、三上章の学説を紹介して、以上の学説との関係を解明してみる。
上には述べていたように、三上章(1953)は松下の「有題」「無題」という対立概念を受けて、さらに「有題」を「顕題」と「陰題」に分けている。三上(1959)は有題の文には、「顕題」に対して、「略題」の場合があることも指摘している。はっきりわかるように、ここで三上の有題(顕題、陰題、略題)と無題の表す例文を引用する。
問 偏理ハ、ドウシタ?
―― 到着シマシタ。(略題)
―― 偏理ハ、到着シマシタ。(顕題)
問 ダレガ到着シタ(ンダ)?
―― 偏理ガ到着シタンデス。(陰題)
問 何カニュースハナイカ?
―― 偏理ガ到着シマシタ。(無題)
陰題の文は、語順を逆さにして顕題の文に直すことができる。
到着シタノハ、偏理デス。(顕題)
(三上章(1959))
三上章(1953)は佐久間の学説を継いで、事象の経過を表す「動詞文」と事物の性質を表す「名詞文」(形容詞や名詞で結ぶもの)との区別を立てる。「動詞文は係助詞「ハ」がなくても完全でありえるのに対し、名詞文は「ハ」に助けられるのを原則とする」と述べている。
そして、三尾砂の学説の影響を受けて、初めて「措定」と「指定」という概念を出し、文には「措定文」と「指定文」があることを指摘している。包摂判断を表す「措定文」は三尾のいう「典型的な判断文」にあたり、「指定文」は三尾のいう「転位文」にあたると考えられる。三上は三尾よりさらに「指定文」になれる条件を明確にしている。すなわち、名詞文の中でも、述語が代名詞や固有名詞(ただし単に名前を紹介する目的の場合を除く)であるものは、本来の語順をひっくり返してできること、疑問文は疑問詞を強調して指定になりやすいなどのことを指摘している。
以上のように、三上は松下、三尾の学説を一歩前進させたといえる。
言うまでもなく、この四人の学説のほかに異論を持っている学者はいる。例えば、以上と関連がある学説には佐治圭三の学説がある。
そこで次は佐治の学説を紹介して、上の学説との関係を解明してみる。
佐治圭三は述語文を主題とそれに対する解説の部分からなる題述文と事物・現象の存在を表す存現文とに分ける。詳しい分類は次の引用部分のようである。
存現文は叙述部だけから成る文である。題述文には顕題の文と陰題の文があり、陰題の文には転位・陰題の文と、状況・陰題の文がある。名詞文、形容詞文は常に題述文である。動詞文は存現文である時と、題述文である時とがある。ある種の所動詞や知覚動詞が述語になる時には、題述文にしかならない。また存現文は常に確言・肯定の平述文である。次は例を挙げながら、佐治の学説は佐久間と三尾と三上の学説との関係を明らかにする。例文はほとんど佐治圭三(1973)から取っている。(佐治圭三(1973))
(15)クジラは動物だ。佐治によれば、題述文のうち、「AはBだ」〔A<B〕のような名詞文(15)と「AはBだ」〔A=B〕のような名詞文(16)とがある。後者の場合は「Bが Aだ」のような名詞文(17)を言うことができる。
(16)日本の首都は東京だ。
(17)東京が日本の首都だ。
(18)クジラは大きい。(18)について、佐治は「題述文」と呼んでいる。これは佐久間の「品定め文」で、詳しく言えば、その中の「形容詞・形容動詞文」である。これは三尾の「判断文」である。(19)になったら、学説の違いが見える。佐治は、このような文は「その全体が状況を主題とする叙述であり、その主題が顕れないところの陰題の文であると把握できる」ので、この種の文を「状況・陰題」の文と呼んでいる。佐久間と三尾はこのような例文に触れていない。
(19)山が美しい。
(20)雨は降っている。(20)は主題として顕在する文であるので、佐治はこのような動詞文を「題述文」としている。上にも述べたように、三尾はこのような動詞文を「判断文」としている。この場合の動詞文という概念は佐久間のいう「動詞文」と違う。佐久間は事件の成り行きを述べる「動詞文」を「物語文」と呼んで、「が」を取るのが普通であると述べている。(20)のような例文に触れていない。
(21)山が見える。(21)について、佐治は「客観的な状態の存在と同時にそれに対する話し手の認知の表現が、不可分の形で表現されたものである」ので、「形容詞文の場合と同様、状況に対してその状態の存在を認知した」ことで、この文が「状況・陰題」の文に属すると述べている。佐久間はこの文を「物語文」として、三尾は「現象文」としている。(野田(1996)はこの文を「無題文」としている。)
(22)雨が降っている。(22)は、主題がなく、叙述部だけで成り立つ文である。佐治はこのように事物・現象の存在を言う文を「存現文」と呼んでいる。佐久間はこの二つの文を「物語文」として、三尾は「現象文」としているのである。
(23)雨が降っているのだ。(三尾1948)(22)の文と違って、(23)は確認の「のだ」が加わる文である。佐治はこのような文が存現文ではなく、「状況・陰題」の文だとしている。三尾は「判断文」としている。佐久間はこのような例文に触れていない。強いて言えば、佐久間の「品定め文」にあたると言える。
以上のことから、佐治は多くの例文を挙げて、詳しく分類して論述していることが分かる。例えば、三尾のいう「転位文」を「転位・陰題」の文と呼ぶ。そのほかに、「状況・陰題」の文もあると指摘している。事物・現象の存在を表す文について、三尾の「現象文」という呼び方は誤解されやすいと考え、ここでは「存現文」と呼ぶことにする。佐治は三尾より各場合を詳述して、三尾の学説をさらに厳密にしているものであると言える。
以上の各学説のまとめから見えるように、後の多くの学者は前の学者の学説を踏まえつつ批判して継承していることが分かる。例えば、佐治圭三は、三尾砂の「現象文」・「判断文」の理論に対して、「存現文」・「題述文」を提出している。このほかに、三尾砂の「現象文」と「判断文」との区別は、射程の大きなものであるという批判もある。例えば、
永野賢(1972)は、三尾説をふまえ、文章中の文表現の分析から文の類型を捉えようとしている。永野は、「文は、文章としての連鎖の中において、文脈を踏まえて考えるのが自然だということになる」と、文章における文脈を踏まえた文の把握の重要性を指摘している。
永野賢(1965)は、「現象文」と「判断文」の主語について、次のように述べている。
現象文(すなわち「が」の主語の文)における主語は、新事実における主体として表現される事物である。すなわち、現象文においては、主語・述語の結びつきが強く、一体となったものであり、いわば主語が叙述の主眼点になる、ということができる。
それに対して、判断文(すなわち「は」の主語の文)における主語は、既知の事物として提出された題目・論題である。すなわち、判断文においては、主語と述語とは二つのものであり、その二つを表現者の判断において結合させるのである。いわば述語が叙述の主眼点になる、ということができる。(永野賢(1965))
永野(1972)は、三尾の学説に即しながらも、述語が動詞現在形(「日がのぼる。」)や、形容詞・形容動詞(「空が青い。」)の文なども現象文に含ませるべきだと考えている。いわゆる「主語」が「が」になっている文が「現象文」であると三尾説を補足して述べている。
「判断文」についても、三尾説を修訂して、「判断文」を二つに分けている。一つは、述部が「−である」あるいは「−用言現在形」のものを典型とし、もう一つは、主部が、既出の語または現前の事物で形作られ、述部が用言のもの(動詞の過去形や「−ている」形、形容詞・形容動詞とその過去形)を典型とする。
要するに、現象文と判断文との区別はほぼ「が」の主語による文と「は」の主語による文との区別だといってよいと述べている。
永野説に従って文章を分析するとき、矛盾が出てくる。その矛盾を解消するため、早川勝広(1986)は、「個別的表現」と「一般的表現」という対立枠組によって表現を読み取ろうとする。
さて、個別的表現と一般的表現との立て分けをどう行うか。今、独立文(文章中の一文である文脈文に対して、一文で自足自立している文を言う)を事例に考えてみる。A 犬が吠えた。……個別的表現Aの「犬」は、ある特定のコノ犬を指示(あるいは表示)しているのに対して、Bの「犬」は、アラユル犬(犬一般)を表示している。Aは、コノ犬の吠えるという一回きりの行為(こと)を記述的(あるいは描写的)に表現しているのに対して、Bは、アラユル犬(種)が動物という類に属する(あるいは位置づけられる)という関係を説明的に表現している。
B 犬は動物だ。……一般的表現(早川勝広(1986))
早川は「現象文」を「個別的表現」、「判断文」を「一般的表現」というふうに捉えている。両文の質差の要点は、Aが「時制をもった表現」であり、Bが「時制をもたない表現」であると指摘している。そして、表現と認識の関係は個別的表現――感性的認識、一般的表現――理性的認識と対応すると述べている。
早川は、三尾説を踏まえつつ、さらに「現象文」と「判断文」の類型を詳しく分類している。表現を個別・一般の対立枠組で捉えるという原則は、文章の類別にはじまり文の類別に及び、語の類別にまで至るべきものと考えている。ここで文の類別に限って述べると、「個別的表現」の文を「現象文」と呼び、「一般的表現」の文を「判断文」と呼ぶことになる。そこで、「現象文」と「判断文」の形の区別について、次のように捉えている。
- 現象文
- 「名詞・が+動詞(時制)」
- 判断文
- 「名詞・は+名詞・だ(超時制)」
(早川勝広(1986))
その上で、「現象文」と「判断文」の類型について詳しく説明している。
まず、「現象文」の類型について、次のように述べている。
現象文は「名詞・が+動詞(時制)」という形が独立文においては典型的なものである。しかし、個別的表現の文章において、この形の文は、ことがらを新たに≪選びとって始める表現≫となりがちで、むしろ、特別の位置にあって、個別的表現ではあるが、より主観よりの表現として捉えられる。個別的表現の文章(小説に代表される)では、むしろ「名詞・は+動詞(時制)」の形の文のほうが、量的に多く、より客観的な表現(描写)と捉えられよう。文脈文の場合、この形を、現象文の典型とすべきかもしれない。ということは、「〜動詞(時制)」を述語とする文にあっては、いわゆる主語に「が」がつくか「は」がつくかは、文の性質(個別的表現か一般的表現か)の決定には重要ではない。と言えるのではないか。
小説のような文章にあって、個別的表現「〜動詞(時制)」は、事態<できごと>を描写する機能を担う。事態描写にあって、新たな<ことがら>を≪選びとって始める表現≫では、いわゆる主語に「が」がつくことが多いと言えよう。そして、始められた<ことがら>を、<できごと>として時の流れに即して≪絞って続けていく表現≫では、いわゆる主語に「は」がつくことが多い、と言えそうである。――個別的表現(時制をもった表現)にあって、「は」は、既出のことがらのどの部分に焦点を絞って、何を主体としてとりたて(卓立)ているかを表示する機能を果たしている。(早川勝広(1986))
早川は以上のように、文を「現象文」と「判断文」に分け、「現象文」を現象(できごと)おこしの文(はじめ文)と現象(できごと)続けの文(続け文)に分けてきた。「現象文」の型の「名詞・が+動詞(時制)」(はじめ文)と「名詞・は+動詞(時制)」(続け文)をまとめて、ともに「〜動詞(時制)」の形にし、この形が重要であると述べている。さらに、時制をともなった動詞が述語であるということが、「現象文」の本質的特徴であると指摘している。
「判断文」については、「名詞・は+名詞・だ(超時制)」を典型とする上で、時制のない動詞述語文をさらに検討する必要があると述べている。
「判断文」の形として、
「〜動詞(非時制)」の二つの型を出し、例文を通して詳しく説明している。
「〜動詞(時制)のだ」(早川勝広(1986))
◎ 地球は回る。独立文としては、「地球(トイウモノ)は回る(モノダ)と読むのが普通であろう。つまり、これは、この文に時制を付与せず、<いつ・どこで>という個別性を超えたところで、<ものごと>を捉えた表現である。(中略)述語の語性(品詞)よりも、その文が時制を有するか否かが、文の性質決定に寄与するのである。この文は、地球が回るという属性(特徴)をもつモノであるコト(判断)を叙述したものである。◎(日が照ってきた。)雲が切れたのだ。この文は、前文の自然現象(できごと)(一回きりのある日の天象)について、その原因を述べたもので、「(ソレハ)、雲が切れたカラ(の)だ」と読むべきものであろう。
ただ、注意しておくべきことは、この文の述語は、文節「切れたのだ」ではない、ということである。「の」は、「雲が」まだ遡って、それまでのコトガラを体言化・名詞化する(超時制化する)、いわゆる形式名詞である。とすれば、述語は、「雲が切れたのだ」であり、その主語(主題)は、前文であり、それを受けて指示する、陰在しているソレハである。さらに言えば、「雲が切れたのだ」は体言句・名詞句であり、この文は、すでに名詞文である、ということである。
判断文の型として、の三つを類別してみることができよう。
- 「〜名詞だ」
- 「〜動詞(普遍形)」
- 「〜動詞(時制)のだ」
(早川勝広(1986))
以上に述べたように、永野賢の、主語に「が」があるのは「現象文」、主語に「は」があるのは「判断文」であるという学説に対して、早川勝広は「が」「は」にこだわるのではなく、表現の有り様に即すことによって、表現を読み分けていき、そこに形との対応を見る。すなわち、早川の論述から「現象文」・「判断文」は「が」・「は」と必ずしも一対一に対応しているわけではないことが分かる。一対一に対応しているわけではなくても、「現象文」・「判断文」と「が」・「は」の関係は規律があるといえる。
早川は、個別的表現と一般的表現という対立枠組によって表現を読み取ろうとしており、「現象文」を「個別的表現」、「判断文」を「一般的表現」というふうに捉えている。さらに、文が時制を有するか否かが、文の性質を決定すると述べ、時制をともなった動詞述語文は「現象文」であり、名詞述語文、時制のない動詞述語文、「〜動詞(時制)のだ」のような文は「判断文」であると指摘している。
「現象文」の中に、現象(できごと)おこしの文(はじめ文)を表す場合は、「が」を使うのが普通である。現象(できごと)続けの文(続け文)を表す場合は、「は」を使うのが普通である。
「判断文」の中で、名詞述語文と時制のない動詞述語文は「は」を使う。「〜動詞(時制)のだ」のような文は「が」を使う場合もあるし、「は」を使う場合もある。「が」を使うときは、その「の」は、それまでの事柄を体言化・名詞化する(超時制化する)、いわゆる形式名詞である。その主語(主題)は、前文である。それを受けて指示するので、主題が陰在している。
以上のように、「現象文」か「判断文」かにより、「は」と「が」の使い方が違う。文の中に「は」か「が」を入れる場合、その文が「現象文」か「判断文」かを判別しておく必要がある。
早川の学説は原理的であるとともに、実践的である。中国人の日本語学習者にとって理解しやすいと思われるので、調査の問題文を分析するとき、「現象文」か「判断文」を判別するとき、早川の学説に従うことにする。
このように、松下大三郎は「題述関係」でしきりに使った「有題」「無題」という対立概念を初めて出し、佐久間、三尾、三上、佐治、早川などの学者たちはこの対立概念を受けてそれぞれの学説を確立するようになる。上にも述べていたように、佐久間の「品定め文」・「物語文」、三尾の「判断文」・「現象文」、三上の「名詞文」・「動詞文」、佐治の「題述文」・「存現文」という具合である。三尾は「転位文」、三上は「指定文」を提出している。三上は「有題」をさらに「顕題」と「陰題」と「略題」に分ける。佐治は「転位・陰題」の文と「状況・陰題」の文を提出する。早川は「個別的表現」と「一般的表現」から表現を読み取り、「現象文」を「個別的表現」、「判断文」を「一般的表現」というふうに捉え、文が時制を有するか否かが、文の性質を決定すると指摘している。これにより、三尾の学説をさらに厳密にしている。
以上、文(単文)の性質の分類として、各学者の学説を列挙して、その共通性と差異性を分析してみた。分析することを通して、各学説は完全に対立するのではなく、お互いに関わっていることが分かる。すなわち、もとの理論を継承し発展の過程を見せるのである。
以上の学説は、ほかの学説と比べれば、共通性と差異性が顕著であるし、「は」と「が」の使い分けの説明に重要で欠かせないものである。日本語学習者にとって、基本の理論として理解しておかなければならないと思われるので、重要視するべきである。
第二項では、複文の従属句の種類について南不二男と野田尚史の学説を紹介する。
南不二男(1974)は、いろいろな形の従属句を、その内部における要素の現れ方によって、次の三つのグループに分けた。
以上のA・B・C三つの類については、なお次のような違いを指摘することができる。
- Aの類
- 〜ナガラ(継続)、〜ツツ、〜テその他。
- Bの類
- 〜タラ、〜テ(並列・原因・理由)、〜ト、〜ナガラ(逆接)〜ナラ、〜ノデ、〜ノニ、〜バその他。
- Cの類
- 〜ガ、〜カラ、〜ケレド(ケレドモ、ケドモ、ケド)、〜シその他。
第一に、ある従属句が他の従属句の一部になることがあるが、それについても、ABC三つの類の間に違いが見られる。第二に、これらの従属句が連体修飾語の一部になることができるかどうかということについても違いを指摘することができる。すなわち、A、Bのものは連体修飾語の一部となることが可能である。Cのものは原則として連体修飾語の一部になることができない。
- Aに属するある従属句の一部になることができるのは、やはりAに属する従属句である。
- Bに属するある従属句の一部になることができるのは、やはりBに属する従属句か、またはAに属する従属句である。
- Cに属するある従属句の一部になることができるのは、やはりCに属するものか、あるいはAまたはBのものである。
(南不二男(1974))
以上は南不二男の従属句の分類を紹介したものである。南のC類は三上の硬式、B類は軟式にほぼ対応している。
野田尚史(1986)は南不二男の学説を受けて、その分類を基にし、次のように引用節の場合も含めて、従属句を四つのグループに分けた。
- Aの類
- 〜ながら、〜まま、〜たり、〜つつ、〜て(同一主語)、〜〔連用形〕(同一主語)、〜ず(同一主語)
- Bの類
- 仮定条件句・連体修飾句など(〜たら、〜ば、〜と、〜とき、〜とたん、〜こと、〜の、〜てから、〜まで など)
- Cの類
- 〜のに、〜ので、〜が、〜けれど、〜し、〜て(異主語)、〜〔連用形〕(異主語)、〜ず(異主語)
- Dの類
- 〜と(言った。)、〜と(思った。)、〜という(名詞)、〜か(どうか)
(野田尚史(1986))
野田(1996)は以上のA・B・C・Dという四つのグループにそれぞれ「従属句」、「強い従属節」、「弱い従属節」、「引用節」という呼び方をつける。野田によれば、野田のA・B・C類は、南のA・B・C類にほぼ対応している。対応しない点について、野田は次のように述べている。
ただ、対応しない点もある。一つは、南が取り上げていない連体修飾節や引用節、「〜とき」、「〜ため」などの節もとりあげていることである。もう一つは、どこに分類するかが南と違うものがあることである。南の分類では、「〜ので」と「〜のに」はB類で、「〜から」はC類になっている。それに対して、ここでは、3つとも、焦点になっているときは、「強い従属節」、つまり南の分類でB類に当たるものになり、焦点になっていないときは、「弱い従属節」、つまり南の分類でC類にあたるものになっている。(野田尚史(1996))
以上、南不二男と野田尚史の従属句の分類とその関係を見てきた。明らかに、野田は南の学説を受けて発展させていることが分かる。野田の分類では南が取り上げていない連体修飾節や引用節などが扱われているので、日本語学習者は従属節の中にある「は」と「が」の使い方を学習する際に理解しやすくなる。野田は従属節の中にある「は」と「が」の使い分けについて、さらに詳しく論述している。したがって、従属節の中にある「は」と「が」の使い方をまとめるとき、野田の学説を採用することにする。
第一章の第二節では、単文(文)の性質上の分類と複文の従属句の分類について以上の学説を列挙して、その共通性と差異性を明らかにしてきた。これらの学説は、ほかの学説と比べて、共通性と差異性が顕著であるし、「は」と「が」に関する重要な理論として一定な地位を有する。日本語学習者が「は」と「が」の使い方を学習する際には、これらの理論を理解しておけば、「は」と「が」の使い方がわかりやすくなると思われるので、以上の学説を列挙して詳しく説明してきた。後に調査用の問題文を分析するときも、これらの理論を採用する方針である。
第三節においては、第一節・第二節の中で紹介した学説を理論の根拠にして、単文と複文に分けて、その中にある「は」と「が」の使い分けをまとめてみる。
第一項では、単文の中の「は」と「が」の使い分けを見てみる。
単文の性質について、第二節の第一項では、松下、佐久間、三尾、三上、佐治という五人の学者の学説を紹介した。各分類において「は」と「が」の使い方が述べられている。例えば、松下によれば、「有題文」の中に「は」が使われ、「無題文」の中に「が」が使われる。また、佐久間によれば、「品定め文」には「は」が使われ、「物語文」には「が」が使われる。三尾によれば、「判断文」の中に「は」が使われ、「現象文」の中に「が」が使われる。三上によれば、「措定文」の中に「は」が使われ、「指定文」の中に「は」か「が」が使われる。そして、佐治によれば、「題述文」には「は」が使われ、「存現文」には「が」が使われる。五人の学者は以上のようにそれぞれの論理を立てている。
しかし、野田が指摘しているように、これら一つ一つは、「は」と「が」の使い分けの一部を説明できるものではあっても、全体を説明できるものではない。
「は」と「が」の使い分け全体を無理なく説明するためには、ただ一つの原理によるのではなく、いくつかの原理を組み合わせて考える必要がある。つまり、「は」を使うか「が」を使うかが決まる段階がいくつかに分かれていて、それぞれの段階でそれぞれ違う原理が働いていると考えるのである。(野田尚史(1996))
以上で述べたように、「は」と「が」の使い分けについては、これまでにさまざまな研究が行われてきた。野田(1996)はそうした研究で提案された「は」と「が」の使い分けの原理のうち重要と思われるものを整理して、大きく五つの原理をまとめて挙げている。ここで挙げた五つの原理は、どれも「は」と「が」の使い分けを説明するために必要なものだと思われる。この五つの原理は次のようである。
- 1)新情報と旧情報の原理
- 旧情報には「は」、新情報には「が」
- 2)現象文と判断文の原理
- 判断文には「は」、現象文には「が」
- 3)文と節の原理
- 文末までかかるときは「は」、節の中は「が」
- 4)対比と排他の原理
- 対比のときは「は」、排他のときは「が」
- 5)措定と指定の原理
- 措定には「は」、指定には「は」か「が」
(野田(1996))
野田が挙げたこれらの五つの原理は、別々の視点から述べられていた事実を指摘している。野田は五つの原理の関係を明らかにしたり、体系化したりするために、五つの原理を「主題」という統一した視点からとらえなおしている。すなわち、次の新しい五つの原理を再編している。
A)主題をもてるかどうかの原理
B)主題を持つかどうかの原理
C)何を主題にするかの原理
D)主題を明示するかどうかの原理
E)どうとりたてるかの原理(野田(1996))
野田はA)からE)までの五つの原理を大きく二つに分ける。A)からD)と、E)の二つである。
A)からD)は、文や節のレベルに対して、主題を持つかどうか、何が主題になるかといったことを決める「主題」についての原理である。それに対して、E)は、成分のレベルに対して、どういう取り立て方をするかを決める「とりたて」についての原理である。A)の「主題をもてるかどうかの原理」は3)の「文と節の原理」で、B)の「主題を持つかどうかの原理」は2)の「現象文と判断文の原理」で、C)の「何を主題にするかの原理」は1)の「新情報と旧情報の原理」で、また、D)の「主題を明示するかどうかの原理」は5)の「措定と指定の原理」で、E)の「どうとりたてるかの原理」は4)の「対比と排他の原理」をそれぞれうけついだものである。(野田1996)
単文の中にある「は」と「が」の使い分けと、複文の中にある「は」と「が」の使い分けをそれぞれまとめる。野田にまとめられた五つの旧原理の中で、単文の中の使い分けの1)2)5)を一類にし、複文に関連する使い分けの3)を一類にし、主題ではなく取立てを表す4)を一類にする。以上の原理を引用し、さらに、単文にある「は」と「が」の使い分けを表すには、野田尚史(1984)の述べていた「有題文」と「無題文」の原理を加えればよいと思われる。
すると、次のような順番になる。
ここで「新情報と旧情報の原理」とよぶのは、主格名詞が、話の現場や文脈とどのような関係を持っているかによって「は」と「が」の使い分けを説明するものである。つまり、主格名詞がまだ知られていない新情報のときはその主格に「が」がつき、主格名詞がすでに知られている旧情報のときはその主格に「は」がつくという原理である。(野田(1996))
この原理を最初に提案したのは松下大三郎(1930)である。松下は、「未定可変の概念」と「既定不可変の概念」という用語を使って、「は」と「が」の使い分けを説明する。
(24) 私は吉田と申します。社長に御取次を願います。(松下1930)松下によると、(24)は何も知らない受付の人に言う文であり、目の前にいる「私」は既定の概念で、「吉田」は未定の概念である。このような既定の概念の「私」には「は」がつく。それに対して、(25)は「吉田」という名前を知っている社長に言う文であり、「吉田」が既定の概念で、「私」は未定の概念である。このような未定の概念の「私」には「が」がつくというのである。
(25) 私が先日履歴書を差し上げました吉田でございます。(松下1930)
(26) 先日履歴書を差し上げました吉田は私でございます。といってもよいと述べている。
その後、久野ワ(1973)は、「新しいインフォーメイション」と「古いインフォーメイション」という用語を使って、この原理を精密にしている。久野は文脈から予測することができないのは新しいインフォーメイションで、予測することができるのは古いインフォーメイションであると述べている。
また、大野晋(1978)や北原保雄(1981)は「既知」と「未知」という用語を使って、「は」と「が」の使い分けを説明している。
ここで「現象文と判断文の原理」とよぶのは、モダリティの面からの文の分類によって「は」と「が」の使い分けを説明するものである。つまり、現象文の主格に「が」がつき、判断文の主格に「は」がつくという原理である。(野田(1996))
この原理を最初に提案したのは三尾砂(1948)である。三尾は「現象文」と「判断文」という用語を使って、「は」と「が」の使い分けを説明している。
(27) 雨が降ってる。(三尾砂1948)三尾によると、(27)は、「現象をありのまま」、「判断の加工を施さないで」、「心に映ったままを」、そのまま表現した「現象文」であり、「が」が使われる。それに対して、(28)は、「雨という概念と水滴という概念を主観の中で組み立てた真理であって、それが真理であるかないかの責任は話し手の主観が負わなければならない。」すなわち、課題である「雨」に対して、話し手の主観が判断を下して、「水滴」が解決として真であると主張する「判断文」であり、「は」が使われるというのである。
(28) 雨は水滴だ。(三尾砂1948)
ここで「措定と指定の原理」とよぶのは、主格名詞と述語の意味的な関係によって「は」と「が」の使い分けを説明するものである。つまり、述語が主格名詞の性質を表す「措定」のときには「は」だけが使われ、主格名詞と述語名詞が同じものであることを表す「指定」のときは「は」か「が」が使われるという原理である。(野田(1996))
この原理を最初に提案したのは三上章(1953)である。三上は「措定」と「指定」という用語を使って、次の(29)のような「は」の文と、その次の(30)のような「は」の文の違いを説明する。
(29) 犬は動物だ。(三上1953)三上によると、前の(29)のような文は、「犬」について「動物だ」と解説する措定の文なので、次の(30)のような「が」の文に変えることはできない。それに対して、前の(30)のような文は、「君の帽子」と「どれ」の一致を認定する指定の文なので、その次の(32)のような「が」の文に変えることができるというのである。
(30) 君の帽子はどれです?(三上1953)
(31) *動物が犬だ。
(32) どれが君の帽子です?
ここで「有題文と無題文の原理」と呼ぶのは、文中に主題が含まれるか否かによって「は」と「が」の使い分けを説明するものである。つまり、「無題文」の主格に「が」がつき、「有題文」の主格に「は」がつくという原理である。
松下大三郎(1928)は最初に「有題」「無題」という対立概念を提出している。三上(1953)は松下の学説を受けて、無題の文を示し、さらに有題には顕題と陰題の場合があると指摘している。野田尚史(1984)、丹羽哲也(1988)は三上の学説を受けて、「有題文」・「無題文」という呼び方を始める。野田(1984)は「有題文」と「無題文」という用語を使って、「は」と「が」の使い分けを説明する。
野田は「有題文」と「無題文」について、文中に主題を含む文は「有題文」といい、文中に主題を含まない文は「無題文」というのである、と規定している。
「有題文」と「無題文」はそれぞれ、(33)のような主文の主格名詞句に「は」がついている文と(34)のような「が」がついている文に対応している場合が多い。
(33) NHKは二十五日、来年の"大河ドラマ"を山岡荘八原作「徳川康成」に決定したと発表した。(野田1984)
(34) 大阪外国語大学で十九日、留学生別科修了式が行われた。(野田1984)
野田によると、(33)は「NHK」という主題を含む「有題文」であり、「は」が使われる。(34)は非意志的な動作を表す動詞を述語とする主題を含まない「無題文」であり、「が」が使われるというのである。
しかし、「有題文」と「無題文」はそれぞれ、主文の主格名詞句に「は」と「が」がついている文に対応していない場合もある。例えば、三上のいう「略題」、「陰題」の場合などは、「有題文」であるが、「は」がつくという対応をしていない。
ここで「文と節の原理」とよぶのは、主格がどこまでかかるかによって「は」と「が」の使い分けを説明するものである。つまり、文末までかかるときは「は」が使われ、節の中だけにしかかからないときは「が」が使われるという原理である。(野田(1996))
この原理を最初に提案したのは山田孝雄(1936)である。山田は、次の(35)と(36)のような例文について、「は」と「が」の違いを説明する。
(35) 鳥が飛ぶ時には空気が動く。(山田1936)山田によると、(35)の「が」の勢力は「飛ぶ」までしか及ばないのに対して、(36)の「は」は「飛ぶ」には直接関係しないで、「羽根をこんな風にする」という陳述と結びつくというのである。
(36) 鳥は飛ぶ時に羽根をこんな風にする。(山田1936)
ここで「対比と排他の原理」とよぶのは、主格名詞が、その文の中にない同類の名詞との関係でどのような意味をもつかによって「は」と「が」の使い分けを説明するものである。つまり、同類の名詞に対して対比的な意味をもつときは「は」が使われ、排他的な意味をもつときは「が」が使われるという原理である。(野田(1996))
この原理を最初に提案したのは三上章(1963)である。「対比」と「排他」という用語を使って、「は」と「が」の使い分けを説明する。その後、久野ワ(1973)は「対照」と「総記」という用語を使って、この原理を精密にしている。
(37) 雨は降っていますが、雪は降っていません。(久野ワ1973)久野によると、(37)は、「雨が降っています」と「雪が降っていません」の対照を表しているため、「は」が使われる。「一つの文には、ただ一個の主題しか現れ得ないので、もし一つの文の中に、二つあるいは、それ以上の「は」が現れる場合には、最初の「は」だけが主題を表し、残りは対照を表す。」というように述べている。((37)は学校文法で重文になる。)次の(39)は、最初の「私」は主題を表し、次の「タバコ」と「酒」は対照を表すのである。((39)は単文で、その中の述部が重文である。)
(38) 太郎が学生です。(久野ワ1973)
(39) 私はタバコは吸いますが、酒は飲みません。(久野1973)一方、(38) は、「(今話題になっている人物の中では)太郎だけが学生です」という総記の意味を表しているため、「が」が使われるというのである。
第三節の第二項では、複文の中にある「は」と「が」の使い方を見てみる。
第二節の第二項で述べてきたように、野田(1986)では、従属句がA・B・C・Dという四つのグループに分けられた。野田(1996)では、A・B・C・Dにそれぞれ「従属句」、「強い従属節」、「弱い従属節」、「引用節」という呼び方がつけられる。
野田(1996)は、この四つの種類の分け方で、それぞれの従属節をAもつ文で、「は」と「が」の使い方をまとめている。次は、野田の論説を引用しながら、複文の中にある「は」と「が」の使用法を明らかにしていく。問題文は全て野田(1996)から取っている。ただし、出典は省略する。
「従属句というのは、付帯状況を表す「〜ながら」や「〜まま」に代表されるものである。」野田は従属句の定義を示す。従属句の性質について、こうした従属句は、「内部に独自の主格をもつことができない」ので、「従属句の内部には「は」も「が」も現れない。したがって、「は」と「が」の使い方も問題にならない。」と述べている。野田はこのような従属句の「は」と「が」の使い分けは単文での使い分けと同じであると述べている。
「強い従属節というのは、主文への従属度が高い従属節、いいかえると、主文からの独立度が低い従属節のことである。」というふうに強い従属節の定義を示す。「〜たら」のような仮定節や、連体修飾節が代表的なものであると指摘している。「こうした強い従属節は、内部に独自の主題を持つことができない」ので、「強い従属節の内部には主題を現す「は」は現れず」、「主格にはかならず「が」がつく」という性質について述べている。
山田と三上のこの従属句の主格の「は」と「が」の使い方は野田の強い従属節の中の使い方にあたると考えられる。
このほかに、野田は三つの例外の場合を挙げている。
「弱い従属節というのは、従属度が低く、独立度が高い従属節のことである。「〜けれど」や「〜が」のような並列節が代表的なものである。」と述べ、弱い従属節の定義を示している。「こうした弱い従属節は、強い従属節とは違って」、「内部に独自の主題をもつことができる。」という性質を指摘している。「弱い従属節の中で「は」を使うか「が」を使うかは、基本的に、単文での「は」と「が」の使い方と同じである。」
野田に対して、南は「〜から」は弱い従属節で、「〜ので」「〜のに」は強い従属節だとしている。
「引用節というのは、「〜と言う」「〜と思う」などの「〜と」に代表されるものである」と野田は引用節について、こう定義している。
引用節は、「内部に独自の主題を持つことができる」ので、「引用節の中で「は」を使うか「が」を使うかは、基本的には単文での「は」と「が」の使い方と同じである。」「単文で「は」になるようなときでも」、「引用節の中では」、「「が」になるのが普通である。」「それは、こうした文は、引用節の内容を主張するものではないために、引用節の文としての独立度が低くなる、つまり従属節としての従属度が高くなり、強い従属節のような性質を持つようになるから」であるというふうに説明している。
このように、従属節をもつ文は単文とのいちばん大きな違いは、強い従属節の中では「は」を使用することができず、かならず「が」が使われるということである。
先行研究で示したように、「は」と「が」の使い方が複雑で身につけにくいことがわかった。佐治が言うように、「は」と「が」は、日本語の構文の最も重要な部分にかかわるので、その使い方が複雑であって、それが外国人の学習者にとって習得の困難な原因の一つになっている。中国人の学習者にとっても日本語の、「は」と「が」の使い分けは難しさを感じるものである。その原因の一つとして中国語の中に、「は」と「が」のような使い分けをする助詞がないことがあげられる。本稿においては、中国人の学習者に対する日本語教育の場合だけを扱うので、ほかの国の学習者の場合については言及しないことにする。
中国人の日本語学習者が「は」と「が」の使い分けを習得する過程で、いろいろなエラーを生じることが予想できる。もし適切な指導法を見つけることができれば、その誤用の数を減らすことができると思われる。適切な指導法を見つけるためには調査をしなければならない。調査を通して、中国人の日本語学習者が「は」と「が」の使い方について、どれぐらい身につけているのか・どんな誤用の傾向を示しているのか・どの辺りが揺れているのかを確かめることができる。このように調査の結果を考察して、中国人の日本語学習者に対する適切な指導法を見つけることを目的とする。
「は」と「が」の使い方は多様であり、その難易度にも段階がある。中国人の日本語学習者にとって、その使い方をすべて身につけるのは非常に難しいことである。しかし、少なくともその基本的な使い方を身につけなければ、文章を書くとき、「は」か「が」のどちらを使ったらいいか迷ったり、書いた文が正しく理解されなかったりすることになる。やはり、日本語を学ぶ者は、その基本的な使い方をどうしても身につけなければならないのである。
調査をするとき、回答者の負担を考えると、たくさんの使い方を一度に調べることはできない。まずこれを身につけたら、文章を読むときに理解しやすくなり、文章を書くとき誤用の数が減らせるようなものだけに、調査内容を限定する必要がある。
問題文の候補には、いろいろな「は」と「が」の使い方が含まれている。例えば、「は」には、主題や取立ての働きがある。主題を細かく見ると、単文の主題、複文の主題、対比的主題などの使い方がある。対格を取り立てて主題になったりする場合もある。主題を表す「は」の働きが、「が」とどう違うかを見ることは、「は」の働き全般の中で、大切な側面を明らかにすることになる。調査のときは、主題を表す「は」の働きを主な使い方として考察しようとする。
取立ての中には、次の例@のような繰り返しを表す「は」もあり、例Aのような格助詞限定を示す「は」もある。しかし、アンケート調査にはこのような問題文を取り上げないことにした。なぜならば、この場合、「が」との関係が薄く、「が」と「は」との使い分けを観察する目的に役立たないからである。
@ 堂々とした岩肌をさらし、大胆な稜線の流れを見せつけながらそびえ立っている岩山の連なりが、何度も何度も、近寄ってきて【は】遠のいた。「が」には、主語や対象語の使い方がある。(時枝誠記は対象語と呼ぶが、久野ワは目的格と呼ぶ。中国人の学習者にとっては、「対象語」という呼び方のほうが親しみがあるので、ここでは久野ワの言う「目的格」を「対象語」と呼ぶことにする。)次の例BCの「が」は対象語である。
A 私の班から【は】四十名中十六名が残った。
B 僕はお金【が】ほしい。
C 誰がこの歌【が】歌えるか。
久野ワは、「意味の上から目的格助詞「ヲ」が現れることが期待されるところに「ガ」が現れるのは、次の構文に限られている。」と述べている。その構文は以下である。
- 能力を表す形容詞、形容動詞
- 上手、苦手、下手、得意、うまい
- 内部感情を表す形容詞、形容動詞
- 好キ、嫌イ、欲シイ、コワイ、動詞+タイ
- 可能を表す動詞
- デキル、レル/ラレル
- 自意志によらない感覚動詞
- 解ル、聞コエル、見エル
- 所有、必要を表す動詞
- アル、要ル
(久野ワ(1973))
このような構文を身につければ、「が」の対象語としての使い方に問題はないと思われるので、アンケート調査にはこのような問題文を取り上げないことにした。
主語を細かく見ると、単文の主語、従属節の主語などの使い方がある。
第一章の第一節(文の構造上の分類)の部分で述べたが、本研究で調査用の問題文を分析するとき、その学校文法の分類を採用する方針である。学校文法では、構造上の分類として、文を単文、複文、重文という三種に分けている。学校文法はこれまで批判されてきたが、日本の学校教育においてはいまだに使われている。ほかの理論と比べれば、この学校文法は複雑でないため、日本語学習者が日本語を学習する際に理解しやすいことは先に述べた。だから、問題文を作るとき、単文・重文・複文のそれぞれに含まれるように考慮している。
三尾砂の理論により、単文は「判断文」と「現象文」に分けられる。その両方から問題文を集めることにする。この分類は今でも広く使われている。三尾砂(1948)は「体言+は+体言+だ」という形を「典型的な判断文」という。さらに、述部の体言は形容詞の場合でも、形容動詞の場合でも、動詞の場合でも、判断文のうちに入れられると述べている。(三上章やその他の文法研究者は、形容詞文は名詞文に属すると言っている。)三尾は動詞述語の場合、現象文がもちろん多いが、判断文の場合もあるということを指摘している。しかし、早川勝広は三尾砂の理論を踏まえ、時制がある動詞述語文を現象文、時制がない動詞述語文を判断文としている。そこで、問題文を考えるとき、判断文では名詞述語・形容詞述語の場合を中心とする。動詞述語の場合は、目的格を主題にする問題文を考察対象にする。
現象文は動詞述語を中心とする。また、先行研究の第一章の第二節で述べたように、三尾が初めて転位判断文の学説を提出していることが分かった。この学説は学習者によく知られていないので、説明する必要があると考えて、抽出の問題文とする。この中で、三上が指摘している「ハ」の兼務ということ、すなわち、目的格の「を」から主題の「は」になる場合については、中国人の学習者があまり身につけていないことを予想するため、問題文を多めに出すことにした。
野田尚史の理論では、複文が従属句・強い従属節・弱い従属節・引用節に分けられている。従属句は「は」と「が」の使い分けにあまり関係がないので、問題文を抽出するとき、扱わないことにした。
そのほかに強い従属節が頻繁に使われている。野田(1996)は強い従属節をさらに詳しく分類している。その中の名詞節・連体修飾節・仮定節・理由節がよく使われ、身につけなくてはならない使い方であるので、抽出の問題文として扱う。野田によって、複文の主文の場合は、「は」と「が」の使い方が単文の場合とほとんど同じであるので、重要な考察の項目にしないことにする。
先行研究の第一章の第一節で述べたように、単文、複文、重文に分ける学校文法では、「は」と「が」の使い分けは、重文より単文と複文のほうが複雑で分かりにくいことがわかった。重文には対比と並列を表す場合が多い。ほとんど「〜は〜は」「〜が〜が」を使う。ここでは、対比か並列を表す「〜は〜は」の文型を抽出の問題文とする。
最後に、特別構文として「〜は〜が」構文を考察することにする。特別というのは、この構文は、学者によって単文にされたり、複文にされたり、慣用句として扱うこともあるという、研究者の間でも定説がまだできていない構文のことである。しかし、この文は実際の文章の中でもよく使われている。三上章(1960)は、この構文を「象は鼻が長い」文型とする。元の「象の鼻が長い」という文型から、格成分の連体修飾部が主題になっている文であると説明している。この構文はよく使われ、文型として理解する必要があると考えて抽出の問題文とする。
以上のことを考えて、問題文の分布を次のようにする。単文の判断文は9、複文の主文の場合を含めて10とし、特にその中の転位判断文は一個ずつにする。単文の現象文を4、複文の主文の場合を含めて6にする。複文のうち、強い従属節では、名詞節、連体修飾節、仮定節、理由節をそれぞれ2とする。弱い従属節を2にし、引用節を2にする。重文の場合、対比、並列をそれぞれ2にする。また、特別の「〜は〜が」構文を2にする。まとめると、以下のようになる。
単文 | ●判断文 9 | ○名詞述語 2 |
---|---|---|
○形容詞述語 2 | ||
△動詞述語(「を」―「は」) 4 | ||
△転位判断文 1 | ||
●現象文 4 | ||
複文 | ●強い従属節 8 | ○名詞節 2 |
○連体修飾節 2 | ||
○仮定節 2 | ||
○理由節 2 | ||
☆主文の場合 | ○現象文 2 | |
●弱い従属節 2 | ○対比 1 | |
○判断 1 | ||
☆主文の場合 | △転位判断文 1 | |
●引用節 2 | ||
重文 | ●並列 2 | |
●対比 2 | ||
◆特別構文: | 〜は〜が構文 2 |
文法書の中で「は」と「が」を比較するには、単独の文(センテンス)における機能を問題とするのが普通である。確かにセンテンスを単位にして説明すれば、使い方がわかりやすいし、学習者にとっては身につけやすいと思われる。しかし、実際に文章を読むか書くときは、単独の文(センテンス)における使い方を考えるだけではなく、文脈のことも考えなければならない。すなわち、文章の中における「は」と「が」の働きの違いを考える必要があるのである。文脈の中での使い分けについては、久野ワ(1973)、野田尚史(1996)などの研究がある。
調査では、単独の文における機能の違いだけではなく、具体的な文章の文脈の中における機能の違いについても、中国人の日本語学習者がどれぐらい身につけているのかを考察しようとするので、問題文を文章の形で出すことにする。一つの文章だけでは、同じ使い方の問題文の数が多かったり、少なかったりする場合がある。回答率を均一にするためには、問題文の少ないものを補足しなければならない。それで、文章の中で足りない問題文は単独の文(センテンス)(文脈がついている)の形で追加して出すことにする。
問題文を抽出するとき、以上のように、各用法を網羅するように配慮した。各問題文の難易度についても配慮した。
以上のことを考慮して、中国人の日本語学習者の「は」と「が」に関する日本語能力の実態を調べるために、以下の質問紙調査を行った。
調査に使う問題文としての文章「ぼろ家の住人」は、野田尚史(1985)『日本語文法 セルフ・マスターシリーズ1 はとが』から引用するものである。下に六個の文は日本の高校国語教科書の中から抽出したものである。それに、文章「ぼろ家の住人」から30個の括弧、その後の文から10個の括弧を設定して、調査文を作った。以下は調査文の原文である。
ぼろ家の住人星新一おれはテレビ局につとめている。ドキュメンタリー番組の制作が担当だ。他人の目にははなやかでおもしろい仕事のようにうつるらしいが、おれにはなにかむなしいような気がしてならない。
苦心して番組を作っても、それは電波となって散り、一瞬の映像を残すだけで、そのままどこへともなく消え去ってしまうのだ。たまには、あとへ形となって残るものを作ってみたい。
むなしさをまぎらそうとして、おれは酒を飲んだりトランプをやったりする。それでまた金をむだ使いし、あとにはさらに大きなむなしさ(が)残る。現実に形となって残るの(は)、ふえてゆく借金ばかり。世の中(は)太平ムードで好景気というのに、おれだけ(は)例外。少しもぱっとしない。
ある日、おれは街を歩き回った。番組にのせる、なにかいい題材(は)ないものかと考えながら。
おれは足をとめた。ごみごみと、古くきたない家々(が)密集している地域だった。しかしこの付近もやがてとりこわされ、近代的な建物の並ぶ街にうまれかわる計画となっている。一般的な好況は、強い力で社会を美しく変えてゆく。
うむ、この経過(は)いいテーマかもしれぬ。都市(が)再開発されてゆくのを、具体的にとらえるのだ。しかし、建物だけではドキュメンタリー番組として弱い。効果をあげるためには人物を登場させねばならない。
適当な住民はいないだろうか。取材にとりかかると、こんなことを教えてくれる人があった。
「そういえば、この一画にずっとむかしから住んでいる、おじいさんがいるはずですよ。あわれな生活をしているとか……」
「それ(は)ありがたい。あわれであればあるほど、ぴったりです。で、どこにですか。」
「さあ……」
たよりない答えだった。しかしおれはあきらめず、その老人を熱心にさがし歩いた。さんざん聞きまわったあげく、やっとたどりつくことができた。
このへんの建物(は)どれもぼろだが、そのなかでも最もぼろで最も小さく、建物というより小屋に近い。
「ごめんください」
ドア越しに声をかけたが、老人の声はそっけなかった。
「はいらずにお帰り下さい。わしはどなたとも会いたくない」
なかなか入れてくれない。しかしそこはテレビ関係者の押しの強さ。おれはむりやりはいりこんだ。
ひとりの老人(が)いた。あわれきわまる生活であり、みるからに貧相な老人だ。これは使える。おれは内心喜びながら聞いた。同情(は)視聴者のすることであり、テレビ関係者(は)まず番組のことを考える。
「身よりのかたはないのですか」
「ない」
「生活保護(は)受けていますか」
「そんなもの(は)知らん」
「なぜです。なぜ、こんな最低以下の生活に甘んじているのです」
「わしのあわれな姿を、ひとさまに見せたくないからだ。それに、だれかに助けてもらうなど、わしの信条に反する」
老人はしきりにこのことばをくりかえし、強調した。妙な人生観を持っているやつだ。
会話をしているうちに、この老人だけで番組(が)一つできると思った。好景気の世の視聴者というものは、あわれな実話を好む。そのため、おれはずいぶん悲惨な社会現象をさがしてきたのだが、最近はいささかたねぎれの傾向にある。
しかし、この老人なら好評まちがいなし、典型的な貧乏。貧乏を絵にかいたようだ。貧乏の妖気さえ立ちのぼっている。
「どうです。テレビに出てくれませんか」
「なんです、テレビというのは。わしはだれにも見られたくないのだ。そっとしておいてもらいたいの(が)願いだ」
「わかってますよ。まあ、そんなこと(は)ご心配なく。謝礼(は)さしあげます。私におまかせ下さい」
老人はしりごみしたが、その腰をあげさせるの(が)おれの腕だ。それに、急がねばならぬ。他局(が)かぎつけたら、好条件で横取りされないとも限らない。
老人(が)テレビを知らないのはつごうがよかった。なんだかんだとごまかし、おどしたりすかしたりし、おれは老人をドキュメンタリー番組に出演させてしまった。もっとも、この家にカメラを持ち込み、フィルムにおさめたというわけだ。
それが電波にのると、たいへんな好評だった。老人が画面に出ただけで、悲しくもあわれなムード(が)たちこめる。貧しさ(が)ブラウン管から流れ出てくるようだ。見る人は忘れかけた貧乏そのものに触れた思いにひたり、現在のしあわせをあらためてかみしみる。なにもかも予想どおりだった。
あまりの好評で、すぐに再放送にさえなった。合計すると、すごい視聴率になる。つまり、ほとんどの家庭の茶の間に、この老人の姿(が)あらわれたことになる。
おれは老人をふたたびおとずれ、謝礼を渡しながら言った。
「おかげさまで好評でした。少額ですがこれをどうぞ」
「いや、お金などいりません」
意外な答えだった。
「なぜです。これで、お好きなものでもお食べになったらいいじゃありませんか」
「いや、わしは食べる必要がないのじゃ。だから、生活保護などもいらないのだ」
「なんですって、それでは、まるで人間ではないみたいな……」
この老人、頭(が)おかしいのじゃないか。だが、返事ははっきりしていた。
「さよう。わし(は)貧乏神。わしの姿を見た者は、みな貧乏になってしまう。それ(が)気の毒なので、人目をしのんでこんな場所にかくれていたのだが……」
「ほんとうですか……」
おれはどこまで信じていいのかわからなかった。おれはいつも借金で苦しみ、すでに貧乏だ。だから、老人が本物の貧乏神なのかどうか、おれにはたしかめようがなかった。
しかし、まもなく世の中に、原因不明の不景気(が)おとずれた。政府や財界や評論家がいかに首をひねっても理由はさっぱり判明しない。
わかっているのはおれだけかもしれない。責任は感じているものの、内心うれしくないこともない。おれの作った番組(が)、これだけ現実的な形であとに影響を残したのだから。
A) ごく単純に言ってしまえば、「有名人」には二つの基本的な力が作用していると考えられる。「憧憬」と「嫉妬」である。そして、これも単純に言ってしまえば、「憧憬」(は)彼にさらなる上昇を促し、「嫉妬」(は)逆に下降を促す。
B) 私は妻の留守の間に、この長い小説の大部分を書きました。時々妻(が)帰って来ると、私はすぐそれを隠しました。私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。
C) それで人間の活力というものが、時の流れに沿って発現しつつ開化を形づくっていくうちに私は根本的に性質の異なった二種類の活動を認めたい、否、たしかに認めるのであります。その二通りのうち、一つ(は)積極的なもので、一つ(は)消極的なものである。
D) それにわなで殺すと、死体がいかにも気味悪いということもあり、結局、金網のかご式のものがいちばんよかろうというわけで、それをいくつも置いたように記憶している。場所は、ねずみ(が)いちばん出て来る台所にした。
E) 私の家では二階に上がる階段の中ほどにいると、台所の様子がよくわかった。その階段(は)比較的に幅(が)広かった。夜になると、私はすぐ上の兄と二人で、階段の途中に上がり、腹ばいになって、じっと息を殺して、ねずみの出て来るのを待った。
F) 野原にすむ生物の数と種類は、鳥や昆虫のように目立つものから、地中のミミズやバクテリアに至るまで私たちの想像を超える豊富さに違いない。そしてどの種類もそれぞれ役割を担っていて、チョウ(は)クモのえさになり、クモ(は)鳥のえさになる。
調査の結果を見る前に、原文について分析する。問題文の括弧の中に何を入れたらいいか、その根拠は何か、それを入れて「は」と「が」のどんな用法を示しているのかなどの視点から見ていく。
以下は、40個の空欄が含まれている34問の問題文の一つずつを分析したものである。
この文は出来事を表す「現象文」である。[残る]は自動詞である。「現象文」の中に、主語に「が」をつけるのが普通である。そして、[あとには]の中に取立ての「は」が入っているので、主語に対してもう一つの取立ての「は」が入りにくい。これにより、この文には「が」しか使えない。
この文は名詞述語の「判断文」である。文末に[である]が省略されているが、「判断文」という性質に変わりはない。「判断文」の主語に「は」をつけるのが普通である。
この文は[のに]という接続助詞でつながる「弱い従属節」の文である。「弱い従属節」は内部に独自の主題をもつことができるので、「弱い従属節」における「は」と「が」の使い方は、基本的に単文での使い方と同じである。この文は[世の中は好景気なのに、おれは例外]という意味である。
この二つの文はそれぞれが「判断文」である。対比的な意味を示す場合、二つの「は」を使うのが普通である。このほかに、従属節を「強い従属節」だと理解する場合、その主語に「が」をつけてもいい。主文の[おれだけ]を排他的な意味だと理解する場合、「が」をつけてもいい。これにより、この文には、「〜は〜は」を入れてもいいし、「〜が〜は」か「〜は〜が」か「〜が〜が」を入れてもいい。
この文は[〜と考える]がある「引用節」の文である。「引用節」は内部に独自の主題をもつことができるので、「引用節」における「は」と「が」の使い方は、基本的に単文での使い方と同じである。単文では、[〜ない][〜ません]のような否定を示す文の場合、取り立てるために、[題材]という主語に「は」をつけるのが普通である。一方、[題材]を取り立てずに、存在動詞がある疑問文を示すだけであれば、「が」をつけてもいい。
この文は名詞[地域]を修飾する「連体修飾節」である。「連体修飾節」は「強い従属節」の一種類である。[家々]が「連体修飾節」の中にあるので、その主語に「が」をつけるのが普通である。「強い従属節」は内部に独自の主題を持つことができないので、その内部には主題を表す「は」は現れず、主語にかならず「が」がつく。
この文は問題文2と同じ、名詞述語の「判断文」である。文末に[かもしれぬ]があっても「判断文」の性質に変わりはない。「判断文」の主語に「は」をつけるのが普通である。
この文の[この経過]は、前文の[ごみごみと、古くきたない家々が密集している地域が、近代的な建物の並ぶ街にうまれかわる経過]を指している。前文の内容を受け、すでに話題にのぼっている旧情報の事物を指すので、その主語に「は」をつけるのが普通である。
この文は[の]がつく「名詞節」である。「名詞節」は「強い従属節」の一種類である。[都市]が「名詞節」の中にあるので、その主語に「が」をつけるのが普通である。「強い従属節」は内部に独自の主題を持つことができないので、「強い従属節」の内部には主題を表す「は」は現れず、主格にかならず「が」がつく。
この文は形容詞述語の「判断文」である。「判断文」は名詞述語が中心であるが、述語が形容詞である場合も「判断文」である。「判断文」の主語に「は」をつけるのが普通である。
この文の[それ]は、前文[そういえば、この一画にずっとむかしから住んでいる、おじいさんがいるはずですよ。あわれな生活をしているとか……]で、すなわち[この一画に、あわれな生活をしているおじいさんがいること]を指している。この文はEと同じ、前文の内容を受け、すでに話題にのぼっている旧情報の事物を指すので、その主語に「は」をつけるのが普通である。
この文は、接続助詞の[が]でつながる「弱い従属節」である。「弱い従属節」は内部に独自の主題をもつことができるので、「弱い従属節」における「は」と「が」の使い方は、基本的に単文での使い方と同じである。
「弱い従属節」にある文は、名詞述語の「判断文」であるので、主語に「は」をつけるのが普通である。
この文は[いる]という存在動詞がある「現象文」である。すなわち、他人が自分の前にいることを見たまま述べる文である。「現象文」の中に、主語に「が」をつけるのが普通である。
これは学校文法でいう「重文」である。前の文は名詞述語の「判断文」であるので、主語に「は」をつけるのが普通である。後ろの文は習慣、習性を表わし、文末に[ものだ]が省略されている文である。すなわち、後ろの文も「判断文」であるので、主語に「は」をつけるのが普通である。
さらに、[視聴者]と[テレビ関係者]が対比関係を示すので、「〜は〜は」を使うことになる。
この文は[生活保護]について[受けているか、いないか]という質問の意味である。すなわち、[生活保護]を主題にする文である。
この文の場合は、主部の[生活保護]がこの文の主語ではなく、述部[受けています]の目的語である。すなわち、これは主格ではなく、目的格を主題にするものである。
このような目的格の「を」から主題の「は」になる場合は、三上章(1960)のいう兼務を示す「ハ」である。
この文の[そんなもの]は前文の[生活保護は受けていますか]の中の[生活保護]を指している。この文は問題文12と同じ、目的格を主題にするものである。(解釈は問題文12と同じ)
この文は、「〜と思う」がある「引用節」である。「引用節」は内部に独自の主題をもつことができるので、「引用節」の中で「は」を使うか「が」を使うかは、基本的には単文での「は」と「が」の使い方と同じである。
「引用節」にある文は、[できる]という可能自動詞がある「現象文」であるので、その主語に「が」をつけるのが普通である。
この文は、三尾砂がいう「転位判断文」である。(三上章は「指定文」という。)「転位判断文」は、述部を主題にする文であるので、主語に「が」をつけるのが普通である。この文は[わしの]が省略され、[(わしの)願いはそっとしておいてもらいたいのだ。]と同じ意味である。
すなわち、この文は[何が(わしの)願いか]を述べる文である。前文の文脈により、前の主語は伝えたい部分である。
[そんなこと]は、その前に老人が言ったことを指している。この文は主格ではなく、目的格を主題にするものである。(解釈は問題文12と同じ)
この文は主格ではなく、目的格を主題にするものである。(解釈は問題文12と同じ)
この文は接続詞の「が」でつながる「弱い従属節」である。「弱い従属節」の主文における「は」と「が」の使い方は単文での使い方と同じである。すなわち、接続詞の「が」があっても主文にある「は」と「が」の使い方には変わりはない。
この主文は問題文15と同じで、三尾砂のいう「転位判断文」である。(三上章が「指定文」という。)「転位判断文」は、述部を主題にする文であるので、主語に「が」をつけるのが普通である。この文は[おれの腕はその腰をあげさせるのだ。]と同じ意味である。
すなわち、この主文は[何がおれの腕か]を述べる文である。文脈により、前の主語は伝えたい部分である。この場合の[おれの腕]は[おれの仕事]の意味である。
この文は「〜たら」がある「仮定節」である。「仮定節」は「強い従属節」の一種類である。「仮定節」の主語は主文の主語と違う場合は、その主語に「が」をつけるのが普通である。「強い従属節」は内部に独自の主題を持つことができないので、その内部には主題を表す「は」は現れず、主語にかならず「が」がつく。
この文は問題文7と同じ、「の」がつく名詞節である。「名詞節」は「強い従属節」の一種類である。「名詞節」の主語に「が」をつけるのが普通である。
「強い従属節」は内部に独自の主題を持つことができないので、「強い従属節」の内部には主題を表す「は」は現れず、主格にかならず「が」がつく。
この文は出来事を表す「現象文」である。[たちこめる]は自動詞である。「現象文」の中に、主語に「が」をつけるのが普通である。
この文は出来事を表す「現象文」である。[流れ出てくる]は自動詞である。その後に[ようだ]がついているが、「現象文」という性質が変わりはない。「現象文」の中に、その主語に「が」をつけるのが普通である。
この文は出来事を表す「現象文」である。[あらわれた]は自動詞である。その後に[ことになる]がついているが、[なる]も自動詞であるので、「現象文」という性質には変わりはない。「現象文」の中に、その主語に「が」をつけるのが普通である。
さらに、この文の前文に「合計すると、すごい視聴率になる。」という文がある。「(合計すると、すごい視聴率になるということは、)つまり、ほとんどの家庭の茶の間に、この老人の姿が現れたことになる」という意味になるので、主題について解説の部分には「は」が出にくく、「が」を使うはずである。
この文は、「は」が省略され、元は[この老人は頭がおかしい]という形である。[この老人]という名詞の性質を表わすために、「〜は〜が(形容詞)」という文を使うことになる。
三上章(1960)は、このような構文を「象は鼻が長い」という文型にする。三上は、「象は鼻が長い。」という文を「象の鼻が長い(こと)」という格関係の中の「象の」が主題になった文だと述べている。すなわち、格成分の連体修飾部が主題になっている文である。
この文は、[この老人の頭がおかしいのじゃないか]から[この老人]の状況について述べたいので、「は」により[この老人]を取り立てて主題にする。主題を表す「は」は会話の場合で省略され、[この老人、頭がおかしいのじゃないか]という文になる。
[この老人]の後ろに省略されても主題を表わす「は」が存在する。一つの文の中には、対比を示さない限り、二つの事物を取り立てることができないので、[頭]の後に「が」しか使えない。
この文は名詞述語の「判断文」である。[わし]について述べる文で、[わし]はこの文の主題である。文末に[である]が省略されても、「判断文」の性質に変わりはない。「判断文」の中に、その主語に「は」をつけるのが普通である。
さらに、[わたし][彼]という人称名詞が主語であるとき、特別な文脈がない場合は、普通主題として理解しているのである。
この文は「理由節」である。野田(1996)によれば、「〜から」「〜ので」「〜のに」という「理由節」には、文の焦点になっている場合と焦点になっていない場合がある。焦点になっている場合は「強い従属節」になり、焦点になっていない場合は「弱い従属節」になる。結果より原因のほうを相手に伝えたいならば、「強い従属節」になる。
この文の「理由節」が焦点になっていると理解するのであれば、「強い従属節」になり、その主語に「が」をつけるのが普通である。この文の「理由節」が焦点になっていないと理解するのであれば、「弱い従属節」になり、その主語に「は」をつけるのが普通である。
また、この文は省略文であるので、[それ]は[気の毒なので、人目をしのんでこんな場所にかくれていたのだが]にかかるだけではなく、後ろの省略された文にもかかると考えるのであれば、「は」を使うことになる。この場合、「弱い従属節」である。
[それ]は[気の毒なので、人目をしのんでこんな場所にかくれていたの]という節の中にかかると考えるのであれば、「が」を使うことになる。この場合、「強い従属節」である。
この文は出来事を表す「現象文」である。[おとずれた]は自動詞である。「現象文」の中に、主語に「が」をつけるのが普通である。
この文は「理由節」である。この文が原因を示し、その前文[責任は感じているものの、内心うれしくないこともない。]が結果を示している。すなわち、この文は結果−原因という倒置文の後半部分である。「理由節」には「強い従属節」と「弱い従属節」の使い方があるが、原因を示すこの「理由節」は「強い従属節」になり、その主語に「が」をつけるのが普通である。
この文は重文である。文中の[憧憬]と[嫉妬]という対立の名詞が、それぞれ[上昇]と[下降]という肯定と否定で対立する述語と結びついている。この場合、二つの「は」を使って、対比を示すことが多い。二つの「が」を使って対比を示すこともある。
また、述部の主体を示す働きだけを考えるのであれば、「〜は〜が」「〜が〜は」を使ってもいい。これにより、この文には、「〜は〜は」を入れてもいいし、「〜が〜が」か「〜が〜は」か「〜は〜が」を入れてもいい。
この文は「〜と」がある「仮定節」である。「仮定節」は「強い従属節」の一種類である。この「仮定節」の中に、従属節の主語が主文の主語と違う場合は、従属節の主語に「が」をつけるのが普通である。「強い従属節」は内部に独自の主題を持つことができないので、その内部には主題を表す「は」は現れず、主語にかならず「が」がつく。
この文は重文である。文中の[積極的]と[消極的]という反対語があって、対比関係を示す。この場合、二つの「は」を使い、対比を示すことが多い。二つの「が」を使って対比を示すこともある。
また、述部の主体を示す働きだけを考えるのであれば、「〜は〜が」「〜が〜は」を使ってもいい。これにより、この文には、「〜は〜は」を入れてもいいし、「〜が〜が」か「〜が〜は」か「〜は〜が」を入れてもいい。
この文は名詞[台所]を修飾する「連体修飾節」である。「連体修飾節」は「強い従属節」の一種類である。[ねずみ]が「連体修飾節」の中にあるので、その主語に「が」をつけるのが普通である。「強い従属節」は内部に独自の主題を持つことができないので、その内部には主題を表す「は」は現れず、主語にかならず「が」がつく。
この文は問題文24と同じ構文である。[その階段]という名詞の性質を表わすために、「〜は〜が(形容詞)」という構文を使うことになる。
問題文24にも述べたように、三上章(1960)は、このような構文を「象は鼻が長い」という文型にする。すなわち、格成分の連体修飾部が主題になっている文である。
この文は、[その階段の幅が比較的に広かった]から、[その階段]の性質について述べたいので、「は」によって格成分の連体修飾部を主題にし、[その階段は幅が比較的に広かった]という文になる。連用修飾語の[比較的に]の位置が固定しないので、[幅]の前に移動できる。
一つの文の中には、対比を示さない限り、二つの事物を取り立てることができないので、[幅]の後に「が」しか使えない。
この文は並列を示す重文である。前の文と後ろの文の述語が同じで([なる])、「チョウ」と「クモ」は同類の名詞である。そして、前の文と後ろの文は判断を示す「判断文」である。この場合、二つの「は」を使い、並列を示すことが多い。二つの「が」を使って並列を示すこともある。
また、述部の主体を示す働きだけを考えるのであれば、「〜は〜が」「〜が〜は」を使ってもいい。これにより、この文には、「〜は〜は」を入れてもいいし、「〜が〜が」か「〜が〜は」か「〜は〜が」を入れてもいい。
1.調査日時
2004年5月中旬より実施
2004年5月末回収
2.調査対象
大阪教育大学にいる中国人の留学生、30名。
大阪教育大学にいる日本人の大学生、30名。
3.調査内容
質問紙を提示し、文章の右側に記した「は」か「が」に ○ をつけて答えてもらう。
4.調査手順
留学生と日本人の学生ごとに調査用紙を配布して実施した。原則として授業時間に実施し、日本人の学生の回答時間は20分、留学生は持ち帰ったので回答時間の制限がない。
5.分析対象
日本人の学生の回答を参考にして、30人の留学生の回答を中心にして分析する。回答によって、留学生をA、B、Cグループに分ける。よく身につけている留学生をAグループに、あまり身につけていない留学生をCグループに、中間の留学生をBグループにする。
6.調査の質問紙の構成
質問紙は40問からなっている。文章の右側に記した「は」か「が」に ○ をつけて答えてもらうようにした。調査は次のような形である。
おれはテレビ局につとめている。ドキュメンタリー番組の制作が担当だ。他人の目にははなやかでおもしろい仕事のようにうつるらしいが、おれにはなにかむなしいような気がしてならない。 苦心して番組を作っても、それは電波となって散り、一瞬の映像を残すだけで、そのままどこへともなく消え去ってしまうのだ。たまには、あとへ形となって残るものを作ってみたい。 | |
むなしさをまぎらそうとして、おれは酒を飲んだりトランプをやったりする。それでまた金をむだ使いし、あとにはさらに大きなむなしさ(1)残る。現実に形となって残るの(2)、ふえてゆく借金ばかり。世の中(3)太平ムードで好景気というのに、おれだけ(4)例外。少しもぱっとしない。 |
(1) は/が (2) は/が (3) は/が (4) は/が |
ある日、おれは街を歩き回った。番組にのせる、なにかいい題材(5)ないものかと考えながら。 | (5) は/が |
おれは足をとめた。ごみごみと、古くきたない家々(6)密集している地域だった。しかしこの付近もやがてとりこわされ、近代的な建物の並ぶ街にうまれかわる計画となっている。一般的な好況は、強い力で社会を美しく変えてゆく。 | (6) は/が |
文章中に使われている文の主語を示す「は」と「が」の使い分けを考えるとき、先行文脈について配慮する必要がある文と配慮する必要がない文があると思われる。早川勝広(1986)は、文章中の一文を文脈文と呼び、文法書の例文のように一文で自足自立している文を独立文と呼ぶ。文章中にある文脈文であっても、文脈を考える必要がない文は独立文と同じであり、「は」と「が」の使い分けは独立文と同じである。
今回の調査では、文章と独立文という二つの形を取り上げている。ここでは、文章中にある文脈を考慮する必要がある文を文脈文とする。それに対して、文章中にある文脈を考慮しても考慮しなくても「は」と「が」の使い方に変わりはない文を独立文とする。文章中の文脈文には次のような二つの問題文がある。
それに対して、文章中にあるほかの文は、文脈を考慮しても考慮しなくても「は」と「が」の使い方に変わりはない文であるので、独立文として扱うことになる。すなわち、今回の調査では、文章中にある問題文(15)(18)だけは文脈文として扱っている。
第一章第二節の第一項で述べたように、三尾砂(1948)は、文を「現象文」と「判断文」に分ける。
早川勝広(1986)は三尾の理論を踏まえながら、「個別的表現」と「一般的表現」から「現象文」と「判断文」をとらえようとしている。「現象文」と「判断文」の質差の要点は、「現象文」は「時制をもった表現」であるのに対して、「判断文」は「時制をもたない表現」であると早川は指摘している。早川のこの理論は理論的なものであるばかりではなく、実践的なものでもある。
問題文を分析するとき、早川のこの分類標準を、文章にある「現象文」と「判断文」の判別の基準とする。
問題文に「は」か「が」を入れる前に、まず「現象文」か「判断文」を判別する必要がある。「現象文」か「判断文」かは、「は」か「が」を入れる前に考えるべき基本的な要素である。問題文の中には、このような基本的な要素だけを考えて回答できる問題文と、基本的な要素の上に、付加の要素(その文は複文であるかどうか・特殊な構文であるかどうか・先行文脈を考える必要があるかどうかなどのこと)を考えなければ回答できない問題文とがある。
調査の結果を分析する前に、まず問題文を、「基本的な要素だけで考える文」と「基本的な要素+付加要素で考える文」という二組に分ける必要がある。「基本的な要素だけで考える文」を基本文、「基本的な要素+付加要素で考える文」を付加文とする。以下、基本文と付加文を問題文の番号だけで提示する。後に詳しく分類する際に問題文を挙げているので、ここでは具体的な問題文を提示しないことにする。問題文の番号は、第二章の第二節の問題文の分析の際に付した番号を基準とする。
基本文の問題文は、「現象文」と「判断文」を中心とする。単文だけではなく、複文の主文にある「は」と「が」の使い方は、単文の使い方と同じであるので、複文の主文にある現象文(1)(23)を基本文に入れることにする。そのほかに、「Xハ」が「Xガ」を代行するのではなく、対格(直接目的格)の「ヲ」を代行するもの、すなわち、目的格を主題にする問題文がある。これも基本文に入れることにする。
基本文の問題文を詳しく提示すれば、次のようになる。
ア)現象文(1)(10)(21)(22)(23)(27)
付加文の問題文は基本的な要素と付加の要素を考慮するものである。付加の要素により付加文をいくつかの種類に分ける。その問題文を詳しく提示すれば、次のようになる。
ア)強い従属節をもつ問題文(5)(7)(19)(20)(30)(32)
上に文の基本的な要素と付加の要素から問題文を分類した。ここで、「現象文」と「判断文」が、「が」と「は」の使い方と、どのような対応をしているのかを整理しておく。第一章の第二節で述べたように、永野賢(1972)は「現象文」に「が」を使い、「判断文」に「は」を使うと指摘している。早川勝広(1986)は、それに対して反論を出している。
「〜動詞(時制)」を述語とする文にあっては、いわゆる主語に「が」がつくか「は」がつくかは、文の性質(個別的表現か一般的表現か)の決定には重要ではない。確かに、文章の中で初めて出る事物について描写や記述をする「現象文」では「が」を使うのが普通で、前に出た事物について描写や記述をする「現象文」では「は」を使うのが普通である。
小説のような文章にあって、個別的表現「〜動詞(時制)」は、事態<できごと>を描写する機能を担う。事態描写にあって、新たな<ことがら>を≪選びとって始める表現≫では、いわゆる主語に「が」がつくことが多いと言えよう。そして、始められた<ことがら>を、<できごと>として時の流れに即して≪絞って続けていく表現≫では、いわゆる主語に「は」がつくことが多い、と言えそうである。(早川勝広(1986))
三上(1959)は構文上の主述関係という考え方に異論を唱え、題述関係を提唱している。西洋文法の主述関係の題目は仕手(主語)に限ることに対して、日本語の題述関係の題目はいろんな格を代行していると述べている。ただし、題目は主格である場合が優勢である(相対的優位)である。問題文(12)(13)(16)(17)はその中の目的格を代行する場合である。
三上は、「Xガ」を主格、「Xハ」を主題(題目)と呼んで区別している。両者は次元が違うので、「主語」という言い方で統一して呼ぶことはできない。
では、「主格」「主題」「主語」という用語についてどのように理解すればいいのか、三上は(1959)、(1975)でその関係を次のように述べている。
主語と主格とは概念の次元が違うのであって、主語はもっぱら述語と張り合って主述関係を形作るのに反して、主格(Xガ)は、対格(Xヲ)、位格(Xニ)、共格(Xト)、奪格(Xカラ)などの格仲間の一員を指す名前に過ぎない。格仲間ではもっとも幅のきく一員であり、したがって主要な格ではあるけれども。(三上章(1959))
「主格」は第一格、すなわち動詞に対する論理的関係を表す諸格中の第一格であって、多少の出入を許容すれば国際的に通用する概念であるし、「主題」も言語心理に普遍的な概念である。どちらもあらゆる国語に適用される。しかし主語はそうではない。「主語」は、主格が或る特別なはたらきをする国語の場合に主格に与えられる性質、としか考えられないものである。そういう特別なはたらきは国々の言語習慣によるものであって、言語一般の性質ではない。ヨーロッパ語は主語+述語を骨子としてセンテンスを構成するが、日本語は別なシステムを取っていて、現在までのところは主語に無縁である。三上は題述関係を提唱し、主語の廃止を主張している。また、主語(述語の対立概念)から主格(格仲間の一員)へと移っていく過程の中で、下へ「語」の字をつけないと落ち着かないという習性がある人のことを考えて、次のような三つの段階を分けている。(三上章(1975))
第一段階 いわゆる主語問題文を分析するとき、用語の使用について三上の理論を参考にする。三上の第二段階のいう「主格語」という呼び方は、「主語」と呼び慣れた中国人の日本語学習者にとって分かりやすいと思われる。「主格語」と対応するように、主題を表すものは「題目語」と呼ぶことにする。
第二段階 主格語
第三段階 主格(三上章(1959))
三尾(1948)は「判断文」には「典型的な判断文」と「転位の判断文」が含まれるとしている。その「典型的な判断文」は「題目―解説」構造を持つと指摘している。すなわち、この「典型的な判断文」は「有題文」である。
三上(1959)は有題と無題を提出し、さらに有題を顕題、陰題、略題に分けている。主題がある判断文には、有格主題と無格主題の場合があると指摘している。その理論によれば、名詞が述語である判断文では、主題は無格主題であり、(三上は形容詞が名詞に属するとしている。)動詞が述語である判断文では、主題は有格主題である。
例えば、問題文8は無格主題である。
調査する前に、中国人の日本語学習者は、「は」と「が」について、どのような使い方をよく身につけているのか、どのような使い方をよく間違えるのか、また、学習者たちの使用にはどのような傾向があるのか、どの辺が揺れるのかということについて次のような仮説を立てる。
「は」と「が」の使い方について、中国人の日本語学習者が、どのような使い方をよく身につけているのか、どのような使い方をよく間違えるのか、学習者たちの使用にどのような傾向があるのか、どのあたりが揺れているのかということを解明するため、調査をしてその結果を分析してみた。
調査の問題文の性質と回答傾向に関する仮説のところに、問題文を基本文と付加文に分けている。すなわち、「基本的な要素だけを考える文」を基本文、「基本的な要素+付加の要素を考える文」を付加文とする。基本文を三つのパターンに、付加文を七つのパターンに分けて、問題文を挙げながら説明した。
調査の結果を分析するとき、まず、日本人の学生の回答と留学生の回答における原文を基準にするパターン別の完全一致率とその差を考察してみる。次の表1である。
基本文と付加文による分類 | 問題文の番号 | 原文での分布率 | 日本人の学生 | 中国人の留学生 | 二つの差 | |
---|---|---|---|---|---|---|
基本文 | 典型的な判断文 | 2,6,8,25 | 11.8% | 100.0% | 92.5% | 7.5% |
現象文 | 1,10,21,22,23,27 | 17.6% | 100.0% | 79.5% | 20.5% | |
「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 | 12,13,16,17 | 11.8% | 100.0% | 80.9% | 19.1% | |
付加文 | 強い従属節 | 5,7,19,20,30,32 | 23.5% | 97.5% | 72.9% | 24.6% |
弱い従属節 | 3,9 | 5.9% | 98.9% | 85.6% | 13.3% | |
理由節 | 26,28 | 5.9% | 93.4% | 35.0% | 58.4% | |
引用節 | 4,14 | 5.9% | 100.0% | 88.7% | 11.3% | |
対比か並列を示す | 11,29,31,34 | 11.8% | 92.5% | 76.7% | 15.8% | |
転位判断文 | 15,18 | 5.9% | 91.7% | 55.0% | 36.7% | |
「〜は〜が」を含む特殊構文 | 24,33 | 5.9% | 100.0% | 95.0% | 5.0% |
表1について分析するとき、先に日本人の学生の回答を分析し、その次に、日本人の学生の回答を参照しながら留学生の回答を分析する。そして、最後に、二つの回答の差を分析するという順番である。
表1から、日本人の学生が各パターンの一致率が高いことが分かる。各パターンの一致率が高いことから、日本人の学生に文章を読む力があることが分かる。
日本人の学生の回答において、基本的な要素だけを考える基本文は、原文と完全に一致した。また、付加文の中では、【「〜は〜が」を含む特殊構文】と【引用節】というパターンが完全に一致した。回答における完全一致率が一番低いのは、【転位判断文】(91.7%)というパターンである。その次に低いのは【対比か並列を示す】(92.5%)と【理由節】(93.4%)というパターンである。
【転位判断文】というパターンは、「判断文」という基本的な要素を考える上で、先行文脈という付加の要素を考えなければならない。それにより、主部と述部のどちらを主題にするかを判別するのである。このパターンの一致率が一番低いことで、この使い方が難しいことが分かる。このことから、中国人の学習者にとっても難しく、エラーが生じやすいことが予想できる。
【対比か並列を示す】というパターンは、基本的な要素として、述部の主体だけを示す場合は、「が」か「は」のどちらを使ってもいいが、付加の要素として、対比か並列を示す場合は、「〜は〜は」か「〜が〜が」を使わなければならない。日本人の学生の回答において、原文との一致率が比較的に低いことで、対比か並列の意識が弱い学生がいることが分かる。このことから、中国人の学習者の中においては、この意識が弱い学生がより多くいることが予想できる。
【理由節】というパターンは、ほかの従属節の使い方と違うところがある。理由節には強い従属節と弱い従属節の使い方がある。野田尚史(1996)は、「従属節が焦点になっているときは、理由節が強い従属節になり、「が」が使われることが多い。従属節が焦点になっていないときは、理由節が弱い従属節になり、単文での使い方と同じである」と述べている。理由節をもつ複文の場合は、従属節という付加の要素を考えるだけではなく、理由節に強い従属節と弱い従属節の使い方があることを理解していなければ、エラーが生じやすい。日本人の学生の回答において、原文との一致率が比較的に低いことから、この使い方が難しいことが明らかである。よって、このことから、中国人の学習者にとっても難しいことが予想できる。
以上のことから、付加文は基本的な要素と付加の要素を考えるので、基本文より付加文のほうが難しいことが分かる。付加文の中にある【転位判断文】・【対比か並列を示す】・【理由節】という三つのパターンの使い方がほかのパターンよりさらに難しいことも分かる。
次に、中国人の留学生の回答において、どんな特徴があるのかを分析してみる。
全体的に見ると、留学生の回答において、原文と一致率が一番高いのは【「〜は〜が」を含む特殊構文】(95.0%)で、その次に高いのは【典型的な判断文】(92.5%)というパターンである。一致率が一番低いのは【理由節】(35.0%)で、その次に低いのは【転位判断文】(55.0%)というパターンである。このほかに、表から、【対比か並列を示す】(76.7%)と【現象文】(79.5%)というパターンの一致率がそれほど高くないことがわかる。
【「〜は〜が」を含む特殊構文】と【典型的な判断文】というパターンは原文との一致率が高いことから、学習者がこの二つのパターンをよく身につけていることがわかる。中国人の学習者にとって、「は」か「が」の二つ使われる文には、「〜は〜は」「〜が〜が」という「は」か「が」の繰り返しを避けるため、「〜は〜が」のパターンを使いやすい。そのため、【「〜は〜が」を含む特殊構文】の一致率が高くなる。典型的な判断文の場合は、中国人の学習者が文型として初級から習うので、判断文には「は」を使うという意識が強く、【典型的な判断文】の一致率が高くなる。
上で述べたように、日本人の学生の回答には、【転位判断文】(91.7%)・【対比か並列を示す】(92.5%)・【理由節】(93.4%)という三つのパターンは一致率が低いことが分かる。(この三つのパターンの難しさとエラーが生じやすい原因は上で分析し、中国人の学習者にその傾向があることを予想した。)留学生の回答において、一致率が低いパターンは【理由節】(35.0%)・【転位判断文】(55.0%)・【対比か並列を示す】(76.7%)という順番である。予想通りに、留学生にとっても、この三つのパターンが難しいことが分かる。
中国人の学習者は、強い従属節を含む複文の場合、学習の中級段階で従属節について基本の使い方として習うのでよく身につけているはずである。しかし、留学生の回答から見ると、強い従属節の一致率はそれほど高くない。強い従属節に「が」を使うという意識があるが、従属節として認識できていない可能性がある。
さらに、従属節の中には、強い従属節・弱い従属節・理由節・引用節の使い方がある。理由節をもつ複文の場合は、従属節という付加の要素を考えるだけではなく、強い従属節なのか弱い従属節なのかの判断ができなければ、エラーが生じやすい。留学生は、理由節の基礎になる強い従属節と弱い従属節の判断をしっかり身につけていないので、理由節の一致率が一番低いという結果になる。
中国人の学習者は、「判断文」の一種類としての「典型的な判断文」を文型として初級から習うのでよく身につけている。それに対して、文脈を考慮して述部を主題にする「転位判断文」の使い方ははっきり理解できていない。「判断文」だと判別すると、すぐ「は」を使ってしまう学習者が少なくない。日本人の学生の回答でも、【転位判断文】(91.7%)というパターンの一致率が一番低いことから、このパターンの使い方の難しさが伺える。
日本人の学生の回答から、対比か並列の意識が弱い学生がいることが分かる。中国人の学習者にもこの傾向があることを上で予想した。留学生の回答から、【対比か並列を示す】というパターンの一致率がそれほど高くないことが、中国人の学習者にもこの傾向があることを証明している。すなわち、中国人の学習者には、対比か並列の意識が弱い学生がいることが分かる。
上から、日本人の学生の回答においても、留学生の回答においても、【転位判断文】(91.7%/55.0%)・【対比か並列を示す】(92.5%/76.7%)・【理由節】(93.4%/35.0%)という三つのパターンは一致率が低いことがわかる。留学生の回答においては、この三つのパターンのほかに、【現象文】(79.5%)というパターンも一致率がそれほど高くない。中国人の学習者にとって、「判断文」の「典型的な判断文」を初級から基本文型として習うのでよく身につけていることがわかる。それに対して、「現象文」の意識は弱く、現象文と判断文とが判別できないので、「現象文」に「は」を使ってしまうことになる。
表1の日本人学生の回答の一致率と留学生の回答の一致率の差を見ると、順番は次のようである。
差が一番大きいのは【理由節】で、次は【転位判断文】というパターンである。差が一番小さいのは【「〜は〜が」を含む特殊構文】で、その次は【典型的な判断文】というパターンである。
この差から見ると、【理由節】と【転位判断文】の使い方は、中国人の学習者にとって難しく、身につけにくいことが分かる。それに対して、【「〜は〜が」を含む特殊構文】と【典型的な判断文】の使い方は、よく身につけていることがわかる。
【対比か並列を示す】というパターンの差はそれほど大きくないが、それは両方の一致率が低いためである。日本人の学生においても、対比か並列の意識が弱い学生がいるが、留学生においては、この意識が弱い学生がもっと多くなる。述部の主体だけを示す場合、「〜は〜が」「〜が〜は」を使うのは誤用ではないが、対比か並列の意識が弱い。留学生に対して、この対比か並列の意識を高める練習が必要である。
【対比か並列を示す】というパターンには、次のような二つの場合がある。
【理由節】というパターンにも、次のような二つの場合がある。
このほかに、【弱い従属節】と【引用節】のパターンにもこのような場合がある。ここでは問題文を挙げないことにする。
上で述べたように、この【対比か並列を示す】・【理由節】・【弱い従属節】・【引用節】という四つのパターンでは、回答における誤用率と一致率が異なる。このほかのパターンは、回答における誤用率と一致率が同じであるので、パターン別の誤用率を説明するとき、省略することにする。次の表2のようである。
付加文による分類 | 問題文の番号 | 原文での分布率 | A) 100−一致率 | B)誤用率 | A)−B) | |
---|---|---|---|---|---|---|
付加文 | 弱い従属節 | 3,9 | 5.9% | 14.4% | 10.0% | 4.4% |
理由節 | 26,28 | 5.9% | 65.0% | 31.7% | 33.3% | |
引用節 | 4,14 | 5.9% | 11.3% | 16.7% | −5.4% | |
対比か並列を示す | 11,29,31,34 | 11.8% | 23.3% | 14.2% | 9.1% |
留学生の回答において、この四つのパターンで誤用率が一番高いのは【理由節】(31.7%)で、その次は【引用節】(16.7%)・【対比か並列を示す】(14.2%)というパターンである。誤用率が一番低いのは【弱い従属節】というパターンである。
第三章の第一節で述べたように、調査用の問題文を基本文と付加文に分けた。さらに、基本文を三つのパターンに、付加文を七つのパターンに分けた。
第一章の第一節で述べたように、学校文法では、文の構造上の分類として、文を単文・重文・複文という三種に分けている。各パターンは、それぞれ単文・重文・複文とどのように対応するのかをまとめてみる。次の表3のようである。
問題文の種類と番号 | 数 | 原文での分布率 | |
---|---|---|---|
単文 | 基本文の典型的な判断文(2,6,8,25) | 18 | 52.9% |
基本文の現象文(1,10,21,22,23,27 | |||
基本文の「Xハ」が「Xヲ」を代行する文(12,13,16,17) | |||
付加文の先行文脈を考慮する転位判断文(15,18) | |||
付加文の「〜は〜が」を含む特殊構文(24,33) | |||
重文 | 付加文の対比か並列を示す問題文(11,29,31,34) | 4 | 11.8% |
複文 | 付加文の強い従属節(5,7,19,20, 30,32) | 12 | 35.3% |
付加文の弱い従属節(3,9) | |||
付加文の理由節(26,28) | |||
付加文の引用節(4,14) |
表3から、単文は五つのパターンに対応していることがわかる。基本文の【現象文】と【典型的な判断文】は単文である。基本文の【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】も単文になる。ただし、「典型的な判断文」が無格主題であるのに対して、この【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】は目的格を含む有格主題である。
付加文の【転位判断文】は、判断文の一種類であるので、単文になる。付加文の【「〜は〜が」を含む特殊構文】というパターンは、学者により、単文にされたり、複文にされたりする。ここでは単文にする。
重文は付加文の【対比か並列を示す】というパターンに対応する。
複文は付加文の四つのパターンに対応する。すなわち、強い従属節・弱い従属節・理由節・引用節という四つのパターンである。第一章の第二節で述べたように、複文の分類は野田尚史(1996)の、「強い従属節・弱い従属節(理由節)・引用節」を使う。
原文での分布率から見れば、単文は最も多く、複文はその次で、重文は最も少ない。
「は」と「が」の使い方は、単文での使い方が基本である。日本語学習者は、最初に単文における「は」と「が」の使い方を身につける必要がある。
重文は、単文を2つ対比的並列的に組み合わせた単純な文である。中国のレトリック「対句法」に親しんでいる中国人の日本語学習者にとって、同じ構造の重文は理解し易いはずである。そして、重文は対比か並列という関係しかなく、それほど複雑ではないので、身につけやすいと考えられる。
複文は、野田(1996)によれば、従属節を「強い従属節・弱い従属節(理由節)・引用節」に分かれている。複文における「は」と「が」の使い方は、単文・重文より複雑であるので、身につけにくいと考えられる。
これまでに、日本人の学生と留学生の回答における完全一致率と誤用率を考察してきた。いくつかのパターンの難しさとエラーが生じやすい原因を分析した。すなわち、調査用の問題文の特徴を明らかにした。また、誤用率を分析するとき、回答傾向に関する仮説を参照し、その仮説を検証した。
エラーが生じやすいパターンであっても、間違えない学習者がいる。そのパターンの使い方を身につけていても間違えたり、同じ間違いを繰り返したりする学習者がいる。学習者の誤用の傾向と原因を明らかにするために、留学生を3つのレベルに分けることにする。
A | B | C | |
---|---|---|---|
留学生の番号 | 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12 | 13,14,15,16,17,18,19,20,21,22 | 23,24,25,26,27,28,29,30 |
人数 | 12 | 10 | 8 |
パーセント | 0〜10% | 12%〜20% | 22〜27% |
表4は誤用(日本語の文法として間違いである文)率により、留学生を三つのグループに分けたものである。誤用率0〜10%をAグループに、12%〜20%をBグループに、22%〜27%をCグループに区分する。
その誤用率により、Aグループの留学生たちは「は」と「が」の使い方がよくできており、Cグループの留学生たちはあまり身につけておらず、Bグループの留学生たちはその中間で、身につけても誤りをしたり、同じ誤りを繰り返したりして、その使い方を完全に身につけていないと考えられる。
表4は、誤用率により、留学生を三つのグループに分けたものである。その誤用率により、Aグループの留学生たちは「は」と「が」の使い方がよくできており、Cグループの留学生たちはあまり身につけておらず、Bグループの留学生たちはその中間で、身につけても誤りをしたり、同じ誤りを繰り返したりして、その使い方が完全に身につけていないグループとして区分した。
A、B、Cグループの回答にはどのような相違点があるのか、各グループにはどのような特徴があるのかということを明らかにすることで、留学生たちの誤用の傾向と原因を明らかにできると考えられる。
表5はA、B、Cグループが生じたエラーの種類、その共通した誤りと特徴的な誤りを整理したものである。共通した誤りは、表1のパターン別の完全一致率を参考にして、留学生全体にとっての難易の順に並べてある。
共通した誤り | 特徴的な誤り | |
---|---|---|
A |
基本文の典型的な判断文 基本文の現象文 基本文の「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 付加文の弱い従属節 付加文の理由節 付加文の引用節 付加文の対比か並列を示す 付加文の先行文脈を考慮する転位判断文 | |
B | 付加文の強い従属節 付加文の「〜は〜が」を含む特殊な構文 | |
C |
表5から、Aグループにおいても、基本的な要素だけを考える【典型的な判断文】・【現象文】・【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】というパターンの使い方にエラーを生じた学習者がいることがわかる。BとCグループは共通した誤りのほかに、【強い従属節】と【「〜は〜が」を含む特殊構文】とにエラーを生じたという特徴がある。
A、B、Cグループは、同じパターンでエラーを生じている。しかし、誤用者のレベルの違いは、間違えた問題文の難易に現れる。
難しいパターンの難しい問題文を間違えない学生がAグループになる。それに対して、易しいパターンの易しい問題文を間違える学生がCグループになる。その中間の学生はBグループになる。
表1の原文を基準とするパターン別の完全一致率から、留学生は、【理由節】(35.0%)・【転位判断文】(55.0%)の完全一致率が低く、【対比か並列を示す】(76.7%)・【現象文】(79.5%)がそれほど高くない。それに対して、【「〜は〜が」を含む特殊構文】(95.0%)・【典型的な判断文】(92.5%)の完全一致率が高いことがわかる。表5の各パターン及び同じパターンの中での問題文を、難易順(相対的な順である)に並べると、次の表6のようになる。
各パターン | 問題文の番号 | |
---|---|---|
難 | 付加文の理由節 |
28(倒置文) 26(省略文) |
付加文の先行文脈を考慮する転位判断文 | 18(先行文脈からとらえにくい) 15(比較的にとらえやすい) | |
基本文の現象文 |
22(現象文+ようだ) 21,27,23,1,10(典型的な現象文) | |
中 | 付加文の強い従属節 |
7,20(名詞節) 19,30(仮定節) 5,32(連体修飾節) |
付加文の対比か並列を示す | 11(対比関係が明らかではない) 29,31,34(対比か並列関係が比較的に明らかである) | |
基本文の「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 | 17,12(自動詞だと理解しがちである) 13,16(「そんな」のような指示名詞がある) |
|
付加文の弱い従属節 | 3(対比関係が含まれる) 9(判断文である) | |
付加文の引用節 | 14(自動詞がある現象文) 4(取り立てるかどうかによる) | |
易 | 基本文の典型的な判断文 | 8(形容詞の述語) 6,25,2(名詞の述語) |
付加文の「〜は〜が」を含む特殊な構文 | 24(省略している) 33(省略していない) |
表4は、誤用率により、留学生をA、B、Cという三つのグループに分けたものである。表5から、この三つのグループは同じパターンにおいて誤用があることがわかる。しかし、表6から、間違えた問題文の難易度により誤用者のレベルが異なることがわかる。
表6から、間違えた問題文の難易度により誤用者のレベルが異なることがわかる。すなわち、誤用数が同じであっても、間違った問題文が易しいか難しいかによって、誤用者のレベルが違うのである。
三つのグループの特徴を明らかにするために、その判断の基準を立てる必要がある。
そこで、まず、用語を規定しておく。
なお、パターンによって問題文の数が違う場合がある。
【弱い従属節】・【引用節】などのパターンにはそれぞれ問題文が二つある。易しい問題文を一つ間違える場合をミスとし、難しい問題文を一つ間違える場合をエラーとする。二つの問題文しかないので、偶然性の可能性がないとは言えない。しかし、分析の便宜のため、ここで一応このように基準を立てる。
しかし、【理由節】・【転位判断文】というパターンにも二つの問題文があるが、一番難しいパターンであるので、二つの問題文を全て難しい問題文として扱う。したがって、一つの問題文を間違える場合をエラーとする。
【典型的な判断文】・【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】などのパターンにはそれぞれ四つの問題文がある。易しい問題文を一つ間違える場合をミスとし、二つ間違える場合をエラーとする。難しい問題文を一つ以上間違える場合をエラーとする。
【現象文】・【強い従属節】というパターンにはそれぞれ六つの問題文がある。そのミスかエラーの判断の基準は、四つの問題文があるパターンの基準と同じにする。
次の表7は、問題文の数と難易度によるミスかエラーの判断の基準を示すものである。表7のミスかエラーかの判断の基準により、留学生がそのパターンを身につけているかどうかを判断する。
パターン(難易度の順番) | 数 | 易しい問題文 | 難しい問題文 |
---|---|---|---|
理由節 | 2 | エラー(一つ) | |
転位判断文 | |||
引用節 | 2 | ミス(一つ) | |
弱い従属節 | |||
「〜は〜が」を含む特殊構文 | |||
「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 | 4 | ミス(一つ) エラー(二つ以上) |
エラー(一つ以上) |
対比か並列を示す | |||
典型的な判断文 | |||
現象文 | 6 | ミス(一つ) エラー(二つ以上) |
エラー(一つ以上) |
強い従属節 |
表4では、誤用率により、留学生をA、B、Cという三つのグループに区分している。A、B、Cグループにはそれぞれどのような特徴があるのか。次に、パターンによる誤用数の表を参照しながら、各グループの特徴を明らかにする。
まず、表8のAグループの誤用数の表を参照しながら、Aグループの特徴を明らかにする。
Aグループの特徴を分析するとき以下の基準を設ける。
誤用の人数が12人中半数の6人以上であるパターンは、Aグループ全体が
誤用の人数が5人以下であるパターンは、個々の学生が
身につけていないと考える。
基本文と付加文による分類 | 問題文の番号 | 問数 | 留学生 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | ||||
基本文 | 典型的な判断文 | 2,6,8,25 | 4 | 1 | 1 | ||||||||||
現象文 | 1,10,21,22,23,27 | 6 | 1 | 1 | 1 | ||||||||||
「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 | 12,13,16,17 | 4 | 1 | ||||||||||||
付加文 | 強い従属節 | 5,7,19,20,30,32 | 6 | ||||||||||||
弱い従属節 | 3,9 | 2 | 1 | ||||||||||||
理由節 | 26,28 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||||||||
引用節 | 4,14 | 2 | 1 | ||||||||||||
対比か並列を示す | 11,29,31,34 | 4 | 1 | ||||||||||||
転位判断文 | 15,18 | 2 | 1 | 2 | 2 | 1 | |||||||||
「〜は〜が」を含む特殊構文 | 24,33 | 2 |
留学生4・7が間違えたのは、全問中【典型的な判断文】の1問だけである(それも4問あるうちの1問)。二人とも【典型的な判断文】の問題文6を間違えた。問題文6は名詞の述語であるので、典型的な判断文である。これは不注意で起こしたミスだと考えられる。
留学生9は、【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】の4問中1問の問題文12を間違えた。問題文12の、「受ける」は自動詞的な性質を持っている他動詞なので、それを他動詞ではなく、自動詞であると理解し、あやまって「が」を入れることがあると考えられる。そのため、「Xハ」が「Xヲ」を代行するのを比較的にとらえにくい問題文である。
表7で示したとおり、難しい問題文を一つ間違えるのはエラーになるので、留学生9はこのパターンを身につけていないと判断される。
留学生8・12は、【転位判断文】の2問中1問の問題文18を間違えた。留学生10・11は、2問をどちらも間違えた。
以上の分析から、Aグループは、【典型的な判断文】・【「Xハ」が「Xヲ」を代行する判断文】というパターンを身につけているが、留学生8・10・11・12という4人は文脈を考慮する力が弱いため、【転位判断文】というパターンを身につけていないことがわかる。
上の基準では誤用の人数が5人以下であるパターンは、個々の学生が身につけていないとしている。これにより、Aグループ全体としては、判断文に関するパターンを身につけていることがわかる。
留学生6・11・12は、【現象文】の6問中1問しか間違えていない。留学生6・11は問題文21、留学生12は問題文22を間違えた。問題文21は典型的な現象文であるが、問題文22は現象文+付加要素(ようだ)の文である。
問題文22は「ようだ」がついても、現象文である。留学生12は、問題文22を判断文だと認識しているので「は」を入れた。ほかの現象文に誤用がないことから、留学生12には、現象文に「が」を使うという認識があることがわかる。これにより、留学生12は、典型的な現象文における「は」と「が」の使い方を身につけているが、付加要素がつく場合は認識できず、身につけていないことがわかる。
表6から、問題文21は易しい問題文で、問題文22は難しい問題文である。表7の基準によれば、留学生6・11が問題文21を間違えたのは不注意で起こしたミスであるが、留学生12が問題文22を間違えたのはエラーになる。
以上のことにより、留学生6・11はこのパターンを身につけているが、留学生12はこのパターンを身につけていないことがわかる。
Aグループでは【強い従属節】というパターンに誤用はない。これで、【強い従属節】というパターンを身につけていることがわかる。
【弱い従属節】 留学生11は、【弱い従属節】の2問中1問の問題文9を間違えた。同じ弱い従属節の問題文3には「〜は〜は」を入れた。表6から、問題文3は対比関係が含まれる文である。対比関係をとらえるかどうかによって「は」か「が」のどちらを入れるかを決定するので、難しい問題文である。問題文3に「〜は〜は」を入れたことから、留学生11には、対比の意識が強いことがわかる。
問題文9の弱い従属節は判断文であるので、易しい問題文である。さらに、【典型的な判断文】というパターンに誤用がないことから、留学生11には、判断文に「は」を使うという意識があることがわかる。表7の基準によれば、問題文9を間違えたのは不注意で起こしたミスである。
以上のことにより、留学生11はこのパターンを身につけていることがわかる。
留学生9は、【引用節】の2問中1問の問題文14を間違えた。同じ引用節の問題文4に「が」を入れた。問題文4は、「題材」を取り立てるかどうかにより、「は」か「が」のどちらかを入れる。留学生9は「が」を入れたので、「題材」を取り立てていないことになる。
問題文14の引用節の文は、「できる」という自動詞がある現象文であるので、「が」しか入れられない。表6から、問題文14は難しい問題文である。留学生9は、【現象文】というパターンに誤用はないのに、引用節の中の現象文に「は」を入れていることから、引用節を身につけていないことがわかる。
表7の基準によれば、留学生9が問題文14を間違えたのはエラーになる。以上のことから、留学生9は、このパターンを身につけていないことがわかる。
留学生5・8・9・10・12は、【理由節】の2問中1問の問題文28を間違えた。すなわち、Aグループ12人中5人が間違えた。
問題文28は理由節である。問題文28が原因を示し、その前文「責任は感じているものの、内心うれしくないこともない。」が結果を示している。すなわち、問題文28は結果−原因という倒置文の後半部分である。理由節には強い従属節と弱い従属節の使い方があるが、原因を示すこの理由節は強い従属節になり、「が」しか入れられない。この5人が「は」を入れたのは倒置文として理解していないためであると考えられる。
さらに、「番組」の後に読点がつく。一般に読点があるとき、その前に主題が現れる場合が多い。この5人は、読点が主格語を強調するのではなく、主題を示すと理解しているのである。
表7の基準によれば、【理由節】は難しいパターンであるので、一つの問題文を間違えてもエラーになる。以上のことにより、留学生5・8・9・10・12は、このパターンを身につけていないことがわかる。
同じ理由節の問題文26に、留学生5・9・10・12は「は」を入れ、留学生8は「が」を入れた。
「は」を入れるのは、この文が省略文であることを意識しているためである。「それ」は「気の毒なので、人目をしのんでこんな場所にかくれていたのだが」にかかるだけではなく、後ろの省略された文にもかかると考えているからである。「が」を入れるのは、「それ」は「気の毒なので、人目をしのんでこんな場所にかくれていたの」という節の中にかかると考えているからである。この場合、強い従属節であると意識している。
これにより、この5人は理由節には強い従属節と弱い従属節の使い方を理解していないというより、付加要素が複雑で完全には理解できていない可能性がある。
以上の分析から、この5人はこのパターンを身につけていないことが分かる。
以上の分析から、Aグループ全体としては、従属節に関するパターンの中で、【強い従属節】・【引用節】を身につけているが、留学生5・8・9・10・12という5人は【理由節】を身につけていないことがわかる。
上の基準では、誤用人数が5人以下である場合は、個々の留学生が身につけないとしている。これにより、Aグループ全体としては、【理由節】というパターンを身につけていることがわかる。
ただし、ほかのパターンより、【理由節】が難しいことがわかる。この【理由節】は、B、Cグループにとっても難しく、身につけてられていないことが予想できる。
Aグループは【「〜は〜が」を含む特殊構文】というパターンに誤用はない。これで、Aグループは、このパターンを身につけていることがわかる。
【対比か並列を示す】留学生12は、【対比か並列を示す】の4問中1問の問題文11を間違えた。これは、対比の意識が弱いので起こしたミスだと考えられる。問題文を参照しながら、留学生12が対比の意識が弱いかどうかを確認する。
留学生12は、問題文29・31には「〜は〜は」を使って、対比か並列を示すことができた。問題文31は、
留学生12は、問題文34に「〜が〜は」を入れた。
問題文29・31・34では、述部の主体を示す働きだけを考えるのであれば、「〜は〜が」「〜が〜は」を入れても誤用にはならないが、対比か並列を示すならば、「〜は〜は」「〜が〜が」を入れることになる。留学生12は、問題文34に「〜が〜は」を使っていることから、、「〜は〜は」か「〜が〜が」を使って対比か並列を示すという意識がそれほど強くないことがわかる。
次の問題文11をどのように回答したのであろうか。その誤用の原因は何であろうか。
問題文11には、「視聴者」と「テレビ関係者」という反対語があって、対比関係を示すので、「〜は〜は」しか入れられない。表6から、問題文11は難しい問題文であることがわかる。留学生12が「〜は〜が」を入れたのは、「視聴者」と「テレビ関係者」という反対語で示す対比関係は、問題文29・31ほど明らかではないので、対比関係であるととらえられなかったのであろう。
また、前の部分は判断文で、「は」を使うことができるが、後ろの部分は「考えるものである」の省略であると理解できず、現象文であると理解して「が」を使うことになるとも考えられる。
以上の分析から、留学生12は、対比か並列の意識があるが、それほど強くないことがわかる。問題文11を間違えるのはエラーになるので、留学生12は、このパターンを完全には身につけていないことがわかる。
表8の分析から、Aグループでは、【強い従属節】・【「〜は〜が」を含む特殊構文】というパターンに誤用がないことから、これらのパターンをよく身につけていることがわかる。
【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】・【弱い従属節】・【引用節】・【対比か並列を示す】・【典型的な判断文】・【現象文】というパターンでは誤用の人数が少ない。Aグループ全体としては、これらのパターンを身につけていることがわかる。
【理由節】(5人)・【転位判断文】(4人)というパターンでは、ほかのパターンより誤用の人数が多い。Aグループは身につけているが、ほかのパターンより難しいことがわかる。
表8の分析から、Aグループの特徴がわかった。では、Bグループにはどのような特徴があるのか、またその原因は何であろうか。次に、表9のBグループの誤用数の表を参照しながら、その特徴を明らかにする。
Bグループの特徴を分析するとき以下の基準を設ける。
基本文と付加文による分類 | 問題文の番号 | 問数 | 留学生 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | ||||
基本文 | 典型的な判断文 | 2,6,8,25 | 4 | 1 | 1 | 2 | |||||||
現象文 | 1,10,21,22,23,27 | 6 | 2 | 2 | 1 | 1 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | |
「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 | 12,13,16,17 | 4 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | ||||
付加文 | 強い従属節 | 5,7,19,20,30,32 | 6 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||
弱い従属節 | 3,9 | 2 | 1 | 1 | |||||||||
理由節 | 26,28 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||||
引用節 | 4,14 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||||
対比か並列を示す | 11,29,31,34 | 4 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||||
転位判断文 | 15,18 | 2 | 1 | 2 | 1 | 2 | 2 | 1 | 1 | 2 | |||
「〜は〜が」を含む特殊構文 | 24,33 | 2 | 1 |
留学生13・16は、【典型的な判断文】の4問中1問、留学生22は、4問中2問を間違えた。留学生13は問題文6、留学生16は問題文8、留学生22は問題文6・25を間違えた。
次に問題文の回答を見ながら、留学生13・16・22の誤用の原因を分析してみる。
留学生13は問題文6を間違えた。
問題文6は名詞の述語であるので、典型的な判断文である。ほかの判断文に「は」を入れていることから、判断文に「は」を使うという認識があることがわかる。
留学生13は、【「Xハ」が「Xヲ」を代行する判断文】・【転位判断文】というほかの判断文のパターンに関しては誤用がないので、判断文の使い方がよくできていることがわかる。
表6から、問題文6は名詞の述語である典型的な判断文なので、易しい問題文である。表7から、問題文6を間違えたのは不注意で起こしたミスだとわかる。これにより、学生13はこのパターンを身につけていることがわかる。
留学生16は問題文8を間違えた。
表6から、問題文8は形容詞の述語である典型的な判断文なので、難しい問題文である。述語が名詞である場合は典型的な判断文であるが、形容詞である場合も判断文である。その回答から留学生16は、形容詞が述語である場合も判断文であることは認識していないことがわかる。
表7で示したとおり、難しい問題文を一つ間違えるのはエラーであるので、留学生16は、このパターンを完全には身につけていないことがわかる。
留学生22は問題文6・25を間違えた。
問題文6・25は名詞の述語である典型的な判断文である。問題文6・25は総記にして取り立てる必要がないので、「は」しか入れられない。表6から、名詞の述語の問題文6・25は易しい問題文である。
表7で示したとおり、易しい問題文を二つ間違えるのはエラーであるので、留学生22は、このパターンを身につけていないことがわかる。
留学生13・16・22は、【典型的な判断文】の4問中1問か2問を間違えた。以上の分析から、留学生13は、このパターンを身につけているが、留学生16・22は、完全には身につけていないことがわかる。
留学生14・15・17・18・19は、【「Xハ」が「Xヲ」を代行する判断文】4問中1問、留学生20・21は、4問中2問を間違えた。すなわち、Bグループ10人中7人が4問中1問か2問を間違えたということになる。留学生14・19は問題文12、留学生15・18は問題文17、留学生17は問題文13、留学生20は問題文12・17、留学生21は問題文13・17を間違えた。
次に問題文の回答を見ながら、この7人の留学生の誤用の原因を分析してみる。
留学生14は、問題文12を間違えた。
問題文12の、「受ける」は自動詞的な性質を持っている他動詞であるが、それを他動詞ではなく、自動詞であると理解し、「が」を入れやすい。そのため、「Xハ」が「Xヲ」を代行するのを比較的にとらえにくい問題文である。表7で示したとおり、難しい問題文を一つ間違えるのはエラーであるので、留学生14はこのパターンを身につけていないことがわかる。
留学生19は、留学生14の場合と同じで、問題文12を間違えた。誤用の原因も同じだと考え、詳しく述べることはしない。すなわち、留学生19も、このパターンを身につけていない。
留学生15は問題文17を間違えた。
問題文17は、「さしあげる」は自動詞的な性質を持っている他動詞なので、それを他動詞ではなく、自動詞であると理解し、「が」を入れやすい。そのため、「Xハ」が「Xヲ」を代行するのを比較的とらえにくい問題文である。表7で示したとおり、難しい問題文を一つ間違えるのはエラーであるので、留学生15はこのパターンを身につけていないことがわかる。
留学生18は、留学生15と同じで、問題文17を間違えた。留学生15の場合はすでに上で考察した。留学生18の誤用の原因は留学生15のと同じだと考え、ここで詳しく述べることはしない。すなわち、留学生18も、このパターンを身につけていないことがわかる。
留学生17は問題文13を間違えた。
問題文13は、「そんな」という指示名詞があり、その後に「は」を入れやすい。そのため、「Xハ」が「Xヲ」を代行するのを比較的とらえやすい問題文である。
表7から、易しい問題文を一つ間違える場合、それは不注意で起こしたミスだとわかる。以上のことにより、留学生17はこのパターンを身につけていることがわかる。
留学生20は問題文12・17を間違えた。
問題文12・17で、「受ける」・「さしあげる」は自動詞的な性質を持っている他動詞なので、それを他動詞ではなく、自動詞であると理解し、「が」を入れやすい。そのため、「Xハ」が「Xヲ」を代行するのを比較的とらえにくい問題文である。あるいは、二つの問題文を間違えたのは、日本語の口語表現に慣れていないために、文意をとらえられなかったためだとも考えられる。
表7で示したとおり、難しい問題文を二つ間違えるのはエラーであるので、留学生20はこのパターンを身につけていないことがわかる。
留学生21は問題文13・17を間違えた。
Bグループ10人中7人が【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】の4問中1問か2問を間違えた。上の分析から、留学生17はこのパターンを身につけているが、ほかの6人はこのパターンを身につけていないことがわかる。
留学生14・16・19・20は、【転位判断文】の2問中1問の問題文18を間違え、留学生15・17・18・21は、2問をどちらも間違えた。すなわち、Bグループ10人中8人が2問中1問か2問を間違えたということである。
以上の分析から、Bグループでは、判断文に関するパターンの中で、
【典型的な判断文】 | 2人 | (留学生16・22) |
【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】 | 6人 | (留学生14・15・18・19・20・21) |
【転位判断文】 | 8人 | (留学生14・15・16・17・18・19・20・21) |
留学生15・16・18・19・20は【現象文】の6問中1問、留学生13・14・21・22は6問中2問、留学生17は6問中3問を間違えた。すなわち、Bグループの全員が6問中1問か2問か3問を間違えたということである。
留学生15・16・18・20は問題文22、留学生19は問題文1、留学生13・14・22は問題文21・22、留学生21は問題文1・21、留学生17は問題文22・23・27を間違えた。
では、その留学生がどのような問題文を間違えているのか、また、誤用の原因は何であろうか。次に、問題文の回答を見ながら、全員の誤用の原因を分析してみる。
留学生15の場合
留学生15は問題文22を間違えた。
留学生19は問題文1を間違えた。
留学生13は問題文21・22を間違えた。
留学生21は問題文1・21を間違えた。
問題文1・21は典型的な現象文である。典型的な現象文を二つ間違えていることから、留学生21は、現象文の基本的な使い方を身につけていないことがわかる。基本的な使い方を身につけていないので、現象文+付加要素の問題文22に誤用がないことは、偶然性の可能性がある。
以上のことから、留学生21はこのパターンを身につけていないことがわかる。
留学生17は問題文22・23・27を間違えた。
問題文22は現象文+付加要素(ようだ)の文である。問題文23・27は典型的な現象文である。表6から、問題文22は難しい問題文である、問題文23・27は易しい問題文である。
表7で示したとおり、三つの問題文を間違えるのはエラーであるので、留学生17はこのパターンを全く身につけていないことがわかる。
表8から、Bグループの全員が【現象文】を間違えたことがわかる。以上の分析から、留学生19は【現象文】というパターンを身につけているが、ほかの9人は身につけていないことが分かる。
上の基準では、誤用人数が5人以上である場合はグループ全体が身につけていないとする。これにより、Bグループ全体としてはこのパターンを身につけていないことがわかる。
留学生13・17・18・19・20・21・22は、【強い従属節】の6問中1問、留学生16は、6問中2問を間違えた。すなわち、Bグループ10人中8人が6問中1問か2問を間違えた。留学生13問題文7、留学生17・19・21は問題文19、留学生18は問題文30、留学生20・22は問題文20、留学生16は問題文7・20を間違えた。
第三章の第4節において、回答傾向に関して、
留学生13は問題文7を間違えた。
問題文7は強い従属節の中での名詞節である。表6から、名詞節は強い従属節の中で最も難しく、身につけにくいことがわかる。留学生13は、名詞節のもう一つの問題文(問題文20)に「が」を入れた。名詞節も強い従属節であるという認識があることがわかる。さらに、ほかの仮定節・連体修飾節に誤用がないことから、強い従属節の基本的な使い方を身につけていることがわかる。
これにより、留学生13は、強い従属節の使い方を身につけているが、実際に使用するとき、繰り返して誤ることがわかる。表7によれば、問題文7を間違えるのはエラーであるので、留学生13はこのパターンを完全には身につけていないことがわかる。
留学生20・22は問題文20を間違えた。問題文20は問題文7と同じで、強い従属節の中での名詞節である。留学生20・22は留学生13の場合と同じで、名詞節の問題文を間違えた。留学生13の場合は上ですでに考察した。留学生20・22は、留学生13と誤用の原因が同じだと考え、ここで詳しく述べることはしない。すなわち、留学生20・22も、このパターンを身につけていないのである。
留学生17は問題文19を間違えた。
問題文19は強い従属節の中での仮定節である。表6から、仮定節の使い方はそれほど難しくなく、問題文19は易しい問題文である。ほかの強い従属節に誤用がないことから、留学生17は、強い従属節の使い方がよくできていることがわかる。表7によれば、問題文19を間違えるのは不注意で起こしたミスだということになる。
留学生19・21は、留学生17の場合と同じで、問題文19を間違えた。留学生17の場合は上ですでに考察した。留学生19・21は、留学生17と誤用の原因が同じだと考え、ここで詳しく述べることはしない。
留学生18は問題文30を間違えた。問題文30は問題文19と同じで、強い従属節の中での仮定節である。留学生18は、留学生17と同じで、仮定節の問題文を間違えた。留学生17の場合はすでに上で考察した。留学生18の誤用の原因は留学生17の場合と同じであると考えられる。
以上のことから、留学生17・18・19・21はこのパターンを身につけていることがわかる。
留学生16は問題文7・20を間違えた。
問題文7・20は強い従属節の中での名詞節である。留学生16がほかの仮定節・連体修飾節の問題文に誤用がないことから、強い従属節に「が」を使うという認識があることがわかる。しかし、問題文7・20を間違えたことから、名詞節も強い従属節であるということは認識していないことになる。
表7で示したとおり、難しい問題文を二つ間違えるのはエラーであるので、留学生16はこのパターンを身につけていないことがわかる。
表8から、Bグループ10人中8人が【強い従属節】の6問中1問か2問を間違えた。以上の分析から、留学生17・18・19・21という4人はこのパターンを身につけているが、留学生13・16・20・22という4人はこのパターンを身につけていないことがわかる。
留学生19・22は、【弱い従属節】2問中1問の問題文9を間違えた。
同じ弱い従属節の問題文3に、留学生19は「〜は〜は」を入れ、留学生22は「〜が〜は」を入れた。表6から、問題文3は対比関係が含まれる文である。対比関係をとらえるかどうかによって「は」か「が」のどちらを入れるかを決定するので、難しい問題文である。問題文3に「〜は〜は」を入れたことから、留学生19は、対比の意識が強いことがわかる。「が」を入れても誤用にはならないが、対比の意味が含まれないのである。「〜が〜は」を入れたことから、留学生22は、対比の意識が弱いことがわかる。
問題文9の弱い従属節は判断文であるので、易しい問題文である。表7の基準によれば、問題文9を間違えるのは不注意で起こしたミスである。
以上のことから、留学生19・22はこのパターンを身につけていることがわかる。
留学生13・18・19・20は、【引用節】2問中1問の問題文14を間違えた。
同じ引用節の問題文4に、留学生13・18・19は「が」を入れ、留学生20は「は」を入れた。問題文4は、「題材」を取り立てるかどうかにより、「は」か「が」を入れる。留学生13・18・19は「が」を入れ、「題材」を取り立てていないのに対して、留学生20は「は」を入れ、「題材」を取り立てていることが分かる。
問題文14の引用節の文は、「できる」という自動詞がある現象文であるので、「が」しか入れられない。表6から、問題文14は難しい問題文である。表7の基準によれば、問題文14を間違えるのはエラーであるので、留学生13・18・19・20は、このパターンを身につけていないことがわかる。
留学生14・15・16・18・19・20・22は、【理由節】2問中1問の問題文28を間違えた。すなわち、Bグループ10人中7人が2問中1問を間違えたということになる。
問題文28は理由節である。問題文28が原因を示し、その前文「責任は感じているものの、内心うれしくないこともない。」が結果を示している。すなわち、問題文28は結果−原因という倒置文の後半部分である。理由節には強い従属節と弱い従属節の使い方があるが、原因を示すこの理由節は強い従属節になり、「が」しか入れられない。この7人が「は」を入れたのは倒置文として理解していないためであると考えられる。
さらに、「番組」の後に読点がつく。一般に読点があるとき、その前に主題が現れる場合が多い。この7人は、読点が主格語を強調するのではなく、主題を示すと理解しているのである。
表7で示したとおり、【理由節】は難しいパターンであるので、一つの問題文を間違えてもエラーになる。以上のことから、留学生14・15・16・18・19・20・22は、このパターンを身につけていないことがわかる。
同じ理由節の問題文26に、留学生14・18・19・20・22は「は」を入れ、留学生15・16は「が」を入れた。
「は」を入れるのは、この文が省略文であることを意識しているためである。「それ」は「気の毒なので、人目をしのんでこんな場所にかくれていたのだが」にかかるだけではなく、後ろの省略された文にもかかると考えているためである。「が」を入れるのは、「それ」は「気の毒なので、人目をしのんでこんな場所にかくれていたの」という節の中にかかると考えているからである。この場合、強い従属節であると意識している。
これにより、この7人は理由節には強い従属節と弱い従属節の使い方を理解していないというより、付加要素が複雑で完全には理解できていない可能性がある。
以上の分析から、この7人はこのパターンを身につけていないことが分かる。
以上の分析から、Bグループでは、従属節に関するパターンの中で、
【強い従属節】 | 4人 | (留学生13・16・20・22) |
【引用節】 | 4人 | (留学生13・18・19・20) |
【理由節】 | 7人 | (留学生14・15・16・18・19・20・22) |
Bグループの中で留学生16だけが、【「〜は〜が」を含む特殊構文】の2問中1問の問題文33を間違えた。すなわち、次の問題文で示すように、問題文33に「〜が〜は」を入れた。
留学生15・20・21・22は、【対比か並列を示す】の4問中1問の問題文11を間違えた。その誤用の原因は何であろうか。この4人はほかの問題文をどのように回答したのかを見ながら分析してみる。
留学生15の場合留学生15は、以下の回答で示すように、問題文31・問題文34には「〜は〜は」を使い、対比か並列を示すことができた。問題文31は、判断文二つによる重文なので、「〜は〜は」と回答しやすく、さらに、問題文31には「積極的」「消極的」という反対語があって、対比関係がとらえやすいと考えられる。
留学生20は、以下の回答で示すように、問題文29・31・34には「〜は〜は」を使って、対比か並列を示すことができた。問題文31は、判断文二つによる重文なので、「〜は〜は」と回答しやすいと考えられる。
留学生21は、以下の回答で示すように、問題文29には「〜が〜が」を使って、対比か並列を示すことができた。対比か並列を示すとき、「〜は〜は」でも「〜が〜が」でもよい。
留学生22は、以下の回答で示すように、問題文29・31には「〜は〜は」を使い、問題文34には「〜が〜が」を使って、対比か並列を示すことができた。
表8から、Bグループ10人中4人が4問中1問を間違えた。以上の分析から、留学生20・22は対比か並列の意識が強く、留学生15はその意識がそれほど強くはなく、また、留学生21はその意識が弱いことがわかる。
これにより、Bグループでは、対比か並列の意識が弱い人がそれほど多くないが、対比関係が明らかではない場合、間違える可能性がある。上の基準では、誤用人数が4人以下である場合はグループ全体ではなく、個々の留学生が身につけないとしている。これにより、Bグループ全体としては、このパターンを身につけていることがわかる。
表9の分析から、Bグループでは、【「〜は〜が」を含む特殊構文】・【弱い従属節】というパターンはよく身につけていることがわかる。【典型的な判断文】・【強い従属節】・【引用節】というパターンで誤用をした留学生がいるが、Bグループ全体としては、これらのパターンを身につけていることがわかる。
【対比か並列を示す】というパターンでは、対比か並列の意識が弱い人がそれほど多くなく、対比関係が明らかではない場合、間違える可能性があるが、Bグループ全体としては、このパターンを身につけていることがわかる。
それに対して、【現象文】(9人)・【転位判断文】(8人)・【理由節】(7人)・【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】(6人)というパターンでは誤用の人数が多く、Bグループ全体としては、これらのパターンを身につけていないことがわかる。
表7の分析から、Bグループの特徴がわかった。では、Cグループにはどのような特徴があるのか、その原因は何であろうか。次に、表10のCグループの誤用数の表を参照しながら、その特徴を明らかにする。
Cグループの特徴を分析するとき以下の基準を設ける。
誤用の人数が8人中半数の4人以上であるパターンは、Cグループ全体が
誤用の人数が3人以下であるパターンは、個々の留学生が
身につけていないと考える。
基本文と付加文による分類 | 問題文の番号 | 問数 | 留学生 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | ||||
基本文 | 典型的な判断文 | 2,6,8,25 | 4 | 1 | 1 | 1 | |||||
現象文 | 1,10,21,22,23,27 | 6 | 2 | 2 | 3 | 2 | 1 | 3 | 4 | 1 | |
「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 | 12,13,16,17 | 4 | 2 | 1 | 1 | 2 | 2 | 1 | 0 | 4 | |
付加文 | 強い従属節 | 5,7,19,20,30,32 | 6 | 1 | 3 | 2 | 3 | 3 | 1 | 1 | |
弱い従属節 | 3,9 | 2 | 1 | 1 | 1 | ||||||
理由節 | 26,28 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||
引用節 | 4,14 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||||
対比か並列を示す | 11,29,31,34 | 4 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||||
転位判断文 | 15,18 | 2 | 1 | 2 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | ||
「〜は〜が」を含む特殊構文 | 24,33 | 2 | 1 | 1 |
留学生23・24・29は、【典型的な判断文】の4問中1問を間違えた。留学生23は問題文8、留学生24は問題文6、留学生29は問題文25を間違えた。
次に問題文の回答を見ながら、留学生23・24・29の誤用の原因を分析してみる。
留学生23は問題文8を間違えた。
留学生24は問題文6を間違えた。
留学生29は問題文25を間違えた。
留学生23・24・29は、【典型的な判断文】の4問中1問を間違えた。以上の分析から、留学生23だけが、このパターンを完全には身につけていないが、留学生24・29は、身につけていることがわかる。
留学生24・25・28は、【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】の4問中1問、留学生23・26・27は4問中2問、留学生30は4問中4問を全て間違えた。すなわち、Cグループの8人中7人は、4問中1問か、2問か、4問を間違えたということである。
留学生24・25は問題文17、留学生28は問題文13、留学生23・26は問題文12・17、留学生27は問題文13・17、留学生30は問題文12・13・16・17の全てを間違えた。
次に問題文の回答を見ながら、この7人の留学生の誤用の原因を分析してみる。
留学生24の場合
留学生24は問題文17を間違えた。
留学生28は問題文13を間違えた。
留学生23は問題文12・17を間違えた。
留学生27は問題文13・17を間違えた。
Cグループの8人中7人が【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】の4問中1問か2問か4問を間違えた。上の分析から、留学生28だけがこのパターンを身につけているが、ほかの6人は身につけていないことがわかる。
留学生23・26・28・29・30は、【転位判断文】の2問中1問、留学生24・27は、2問をどちらも間違えた。すなわち、Cグループの8人中7人は2問中1問か2問を間違えた。留学生23・26・28・29は問題文18、留学生30は問題文15、留学生24・27は問題文15・18を間違えた。
以上の分析から、Cグループでは、判断文に関するパターンの中で、
【典型的な判断文】 | 1人 | (留学生23) |
【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】 | 6人 | (留学生23・24・25・26・27・30) |
【転位判断文】 | 7人 | (留学生23・24・26・27・28・29・30) |
留学生27・30は【現象文】の6問中1問、留学生23・24・26は6問中2問、留学生25・28は6問中3問、留学生29は6問中4問を間違えた。すなわち、Cグループの8人全員が6問中1問か、2問か、3問か、4問を間違えたということである。
留学生27・30は問題文22、留学生23は問題文21・22、留学生24は問題文21・27、留学生26は問題文22・27、留学生25は問題文21・22・27、留学生28は問題文22・23・27、留学生29は問題文21・22・23・27を間違えた。
では、間違って回答した者はどのような問題文を間違えているのか、誤用の原因は何であろうか。次に、問題文の回答を見ながら、全員の誤用の原因を分析してみる。
留学生27は問題文22を間違えた。
留学生23は問題文21・22を間違えた。
留学生24は問題文21・27を間違えた。
留学生26は問題文22・27を間違えた。
留学生25は問題文21・22・27を間違えた。
留学生28は問題文22・23・27を間違えた。
留学生29は問題文21・22・23・27を間違えた。
表10から、Cグループの全員が【現象文】を間違えたことがわかる。以上の分析から、Cグループの全員が【現象文】というパターンを身につけていないことが分かる。
上の基準では、誤用人数が4人以上である場合はグループ全体が身につけないとする。これにより、Cグループ全体としては、このパターンを身につけていないことがわかる。
留学生23・29・30は【強い従属節】の6問中1問、留学生26は6問中2問、留学生25・27・28は6問中3問を間違えた。すなわち、Cグループの8人中7人は、6問中1問か、2問か、3問を間違えた。
留学生23・30は問題文19、留学生29は30、留学生26は問題文5・19、留学生25は問題文7・19・20、留学生27は問題文19・20・30、留学生28は問題文5・20・30を間違えた。
第三章の第4節において、回答傾向に関して、
留学生23は問題文19を間違えた。
留学生26は問題文5・19を間違えた。
留学生25は問題文7・19・20を間違えた。
留学生27は問題文19・20・30を間違えた。
留学生28は問題文5・20・30を間違えた。
表10から、Cグループの8人中7人は、【強い従属節】の6問中1問か、2問か、3問を間違えた。上の分析から、留学生23・29・30はこのパターンを身につけているが、留学生25・26・27・28はこのパターンを身につけていないことがわかる。
以上のことから、Cグループ全体としては、【強い従属節】というパターンを身につけていないことがわかる。
留学生23・25・30は、【弱い従属節】の2問中1問の問題文9を間違えた。
留学生24・25・26・28・29は、【引用節】の2問中1問の問題文14を間違えた。すなわち、Cグループの8人中5人は、2問中1問を間違えたということである。
留学生23・24・25・26・27・29・30は、【理由節】の2問中1問の問題文28を間違えた。すなわち、Cグループの8人中7人は、2問中1問を間違えたということである。
以上の分析から、Cグループでは、従属節に関するパターンの中で、
【強い従属節】 | 4人 | (留学生25・26・27・28) |
【引用節】 | 5人 | (留学生24・25・26・28・29) |
【理由節】 | 7人 | (留学生23・24・25・26・27・29・30) |
留学生27・30は、【「〜は〜が」を含む特殊構文】の2問中1問の問題文24を間違えた。
留学生24・26・28・29・30は、【対比か並列を示す】の4問中1問の問題文11を間違えた。すなわち、Cグループの8人中5人は、4問中1問を間違えた。その誤用の原因は何であろうか。ほかの問題文はどのように回答したのかを見ながら分析してみる。
留学生24の場合留学生24は、以下の回答で示すように、問題文31・問題文34には「〜は〜は」を使い、対比か並列を示すことができた。問題文31は、判断文二つによる重文なので、「〜は〜は」と回答しやすく、さらに、問題文31には「積極的」「消極的」という反対語があって、対比関係がとらえやすいと考えられる。
留学生26は、以下の回答で示すように、問題文31・問題文34には「〜は〜は」を使い、対比か並列を示すことができた。問題文31は、判断文二つによる重文なので、「〜は〜は」と回答しやすく、さらに、問題文31には「積極的」「消極的」という反対語があって、対比関係がとらえやすいと考えられる。
留学生28は、以下の回答で示すように、問題文31には「〜は〜は」を使い、対比か並列を示すことができた。問題文31は、判断文二つによる重文なので、「〜は〜は」と回答しやすく、さらに、問題文31には「積極的」「消極的」という反対語があって、対比関係がとらえやすいと考えられる。
留学生29は、以下の回答で示すように、問題文29・31・34には「〜は〜は」を使って、対比か並列を示すことができた。問題文31は、判断文二つによる重文なので、「〜は〜は」と回答しやすいと考えられる。
留学生30は、以下の回答で示すように、問題文29・31には「〜は〜は」を使い、問題文34には「〜が〜が」を使って、対比か並列を示すことができた。問題文31は、判断文二つによる重文なので、「〜は〜は」と回答しやすく、さらに、問題文31には「積極的」「消極的」という反対語があって、対比関係がとらえやすいと考えられる。
表10から、Cグループ10人中5人が4問中1問を間違えた。以上の分析から、留学生29・30は対比か並列の意識が強く、留学生24・26は対比か並列の意識がそれほど強くなく、また、留学生28は対比か並列の意識が弱いことがわかる。
これにより、Cグループでは、対比か並列の意識が弱い人がそれほど多くないが、対比関係が明らかではない場合、間違える可能性がある。上の基準では、誤用人数が4人以上である場合はグループ全体が身につけていないとする。これにより、Cグループ全体としては、このパターンを身につけていないことがわかる。
表10の分析から、Cグループでは、【弱い従属節】というパターンを身につけていることがわかる。【「〜は〜が」を含む特殊構文】・【典型的な判断文】というパターンで、誤用をした留学生が少ないので、Cグループ全体としては、これらのパターンを身につけていることがわかる。
【対比か並列を示す】というパターンでは、対比か並列の意識が弱い人がそれほど多くないが、対比関係が明らかではない場合に間違える可能性がある。Cグループ全体としては、このパターンを完全には身につけていないことがわかる。
【強い従属節】(4人)・【引用節】(5人)というパターンでは誤用の人数が半数か半数以上になるので、Cグループ全体としては、これらのパターンを完全には身につけていないことがわかる。
それに対して、【現象文】(10人)・【転位判断文】(7人)・【理由節】(7人)・【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】(6人)というパターンでは誤用の人数が多く、Cグループ全体としては、全く身につけていないことがわかる。
以上の分析から、Bグループは、【強い従属節】・【引用節】・【対比か並列を示す】というパターンを身につけているが、Cグループは、これらのパターンを身につけていないということがわかった。
B、Cグループは、【現象文】・【転位判断文】・【理由節】・【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】というパターンを身につけていない。ただし、Cグループは同じパターンを繰り返して誤ることが多く、Bグループより不確かにしか身に付けていない。
B、Cグループでは、【「〜は〜が」を含む特殊構文】・【典型的な判断文】・【弱い従属節】というパターンで誤用をした留学生も少数いるが、全体としては、そのパターンを身につけているといえる。
B 、Cグループに対して、Aグループは、以上のパターンをよく身につけている。
これまでに、三つのグループの特徴を分析してきた。三つのグループは誤答の数によって仮に分けたものである。以上の誤答の質を分析することによって、それぞれのグループのメンバーの中に、そのグループの特徴に合わないメンバーがいることがわかった。各グループの特徴をもっとはっきりさせるために、そのメンバーを再調整する必要がある。
Aグループの特徴の分析から、留学生9は、【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】・【引用節】というパターンを身につけていないが、ほかの留学生は、この二つのパターンを身につけている。
留学生12は、【現象文】・【対比か並列を示す】というパターンを身につけていないが、ほかの留学生はこの二つのパターンを身につけている。
以上の理由から、留学生9・12は、Aグループの特徴には合わず、Bグループの特徴に合うので、Bグループに属することにする。
基本文と付加文による分類 | 問題文の番号 | 問数 | 留学生 | Bへ | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 10 | 11 | 9 | 12 | ||||
基本文 | 典型的な判断文 | 2,6,8,25 | 4 | 1 | 1 | ||||||||||
現象文 | 1,10,21,22,23,27 | 6 | 1 | 1 | 1 | ||||||||||
「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 | 12,13,16,17 | 4 | 1 | ||||||||||||
付加文 | 強い従属節 | 5,7,19,20,30,32 | 6 | ||||||||||||
弱い従属節 | 3,9 | 2 | 1 | ||||||||||||
理由節 | 26,28 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||||||||
引用節 | 4,14 | 2 | 1 | ||||||||||||
対比か並列を示す | 11,29,31,34 | 4 | 1 | ||||||||||||
転位判断文 | 15,18 | 2 | 1 | 2 | 2 | 1 | |||||||||
「〜は〜が」を含む特殊構文 | 24,33 | 2 |
Bグループの特徴の分析から、留学生16は、【「〜は〜が」を含む特殊構文】の2問中1問を間違えたが、ほかの留学生はこのパターンに誤用がない。
以上の理由から、留学生16は、Bグループの特徴には合わず、Cグループの特徴に合うので、Cグループに属することにする。
Cグループの特徴の分析から、留学生24は、【強い従属節】というパターンに誤用がないが、ほかの留学生はこのパターンに誤用がある。
以上の理由から、留学生24は、Cグループの特徴には合わず、Bグループの特徴に合うので、Bグループに属することにする。
基本文と付加文による分類 | 問題文の番号 | 問数 | 留学生 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
9 | 12 | 13 | 14 | 15 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 24 | ||||
基本文 | 典型的な判断文 | 2,6,8,25 | 4 | 1 | 2 | 1 | |||||||||
現象文 | 1,10,21,22,23,27 | 6 | 1 | 2 | 2 | 1 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | ||
「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 | 12,13,16,17 | 4 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 1 | ||||
付加文 | 強い従属節 | 5,7,19,20,30,32 | 6 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||
弱い従属節 | 3,9 | 2 | 1 | 1 | |||||||||||
理由節 | 26,28 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||
引用節 | 4,14 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||||
対比か並列を示す | 11,29,31,34 | 4 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||||
転位判断文 | 15,18 | 2 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | 1 | 1 | 2 | 2 | ||||
「〜は〜が」を含む特殊構文 | 24,33 | 2 |
留学生9・12はAグループからB1グループへ移した。
留学生24はCグループからB1グループへ移した。
留学生16はBグループからC1グループへ移した。
基本文と付加文による分類 | 問題文の番号 | 問数 | 留学生 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
16 | 23 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | ||||
基本文 | 典型的な判断文 | 2,6,8,25 | 4 | 1 | 1 | 1 | |||||
現象文 | 1,10,21,22,23,27 | 6 | 1 | 2 | 3 | 2 | 1 | 3 | 4 | 1 | |
「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 | 12,13,16,17 | 4 | 2 | 1 | 2 | 2 | 1 | 4 | |||
付加文 | 強い従属節 | 5,7,19,20,30,32 | 6 | 2 | 1 | 3 | 2 | 3 | 3 | 1 | 1 |
弱い従属節 | 3,9 | 2 | 1 | 1 | 1 | ||||||
理由節 | 26,28 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||
引用節 | 4,14 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||
対比か並列を示す | 11,29,31,34 | 4 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||
転位判断文 | 15,18 | 2 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | ||
「〜は〜が」を含む特殊構文 | 24,33 | 2 | 1 | 1 | 1 |
このように再調整すると、A1・B1・C1という新しい三つのグループになる。
表11はA1グループの誤用数の表である。A1グループにはどのような特徴があるのか。
基本文と付加文による分類 | 問題文の番号 | 問数 | 留学生 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 10 | 11 | ||||
基本文 | 典型的な判断文 | 2,6,8,25 | 4 | 1 | 1 | ||||||||
現象文 | 1,10,21,22,23,27 | 6 | 1 | 1 | |||||||||
「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 | 12,13,16,17 | 4 | |||||||||||
付加文 | 強い従属節 | 5,7,19,20,30,32 | 6 | ||||||||||
弱い従属節 | 3,9 | 2 | 1 | ||||||||||
理由節 | 26,28 | 2 | 1 | 1 | 1 | ||||||||
引用節 | 4,14 | 2 | |||||||||||
対比か並列を示す | 11,29,31,34 | 4 | |||||||||||
転位判断文 | 15,18 | 2 | 1 | 2 | 2 | ||||||||
「〜は〜が」を含む特殊構文 | 24,33 | 2 |
A1グループの特徴をよく分析するために、以下の基準を設ける。
B1グループの特徴
表12はB1グループの誤用数の表である。B1グループにはどのような特徴があるのか。
基本文と付加文による分類 | 問題文の番号 | 問数 | 留学生 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
9 | 12 | 13 | 14 | 15 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 24 | ||||
基本文 | 典型的な判断文 | 2,6,8,25 | 4 | 1 | 2 | 1 | |||||||||
現象文 | 1,10,21,22,23,27 | 6 | 1 | 2 | 2 | 1 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | ||
「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 | 12,13,16,17 | 4 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 1 | ||||
付加文 | 強い従属節 | 5,7,19,20,30,32 | 6 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||
弱い従属節 | 3,9 | 2 | 1 | 1 | |||||||||||
理由節 | 26,28 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||
引用節 | 4,14 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||||
対比か並列を示す | 11,29,31,34 | 4 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||||
転位判断文 | 15,18 | 2 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | 1 | 1 | 2 | 2 | ||||
「〜は〜が」を含む特殊構文 | 24,33 | 2 |
B1グループの特徴をよく分析するために、以下の基準を設ける。
表13はC1グループの誤用数の表である。C1グループにはどのような特徴があるのか。
基本文と付加文による分類 | 問題文の番号 | 問数 | 留学生 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
16 | 23 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | ||||
基本文 | 典型的な判断文 | 2,6,8,25 | 4 | 1 | 1 | 1 | |||||
現象文 | 1,10,21,22,23,27 | 6 | 1 | 2 | 3 | 2 | 1 | 3 | 4 | 1 | |
「Xハ」が「Xヲ」を代行する文 | 12,13,16,17 | 4 | 2 | 1 | 2 | 2 | 1 | 4 | |||
付加文 | 強い従属節 | 5,7,19,20,30,32 | 6 | 2 | 1 | 3 | 2 | 3 | 3 | 1 | 1 |
弱い従属節 | 3,9 | 2 | 1 | 1 | 1 | ||||||
理由節 | 26,28 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||
引用節 | 4,14 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||
対比か並列を示す | 11,29,31,34 | 4 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||||
転位判断文 | 15,18 | 2 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | ||
「〜は〜が」を含む特殊構文 | 24,33 | 2 | 1 | 1 | 1 |
C1グループの特徴をよく分析するために、以下の基準を設ける。
A1・B1・C1グループの特徴の分析から、以下のことが分かった。
B1、C1グループでは、【転位判断文】というパターンに誤用者が多い。これにより、この二つのグループは文脈を考慮する力が弱いことがわかる。文脈は文の内部の関係ではなく、文と文の関係である。すなわち、B1、C1グループは、文と文の関係を考慮する力が弱いということになる。この力が弱いと、文章を理解するときにも影響があると考えられる。
B1、C1グループは、【典型的な判断文】というパターンを身につけている。【典型的な判断文】は、文型として初級から習うためである。それに対して、【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】・【現象文】というパターンを身につけていない。これらのパターンは文と文の関係ではなく、文の内部における題述関係か主述関係である。すなわち、【典型的な判断文】・【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】は題述関係であり、【現象文】は主述関係である。題述関係が題目と述部が分離できる関係であるのに対して、主述関係は主語と述語が緊密で分離できない関係である。【現象文】が題述関係の述部という説もある。(佐治圭三(1973)は、「現象文」を「存現文」と呼び、すなわち、「事物・現象の存在を表す存現文は叙述部だけから成る文である。」と述べている。)【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】は述語と目的語の関係であり、目的語を主題にするものである。
B1、C1グループは、文の内部の関係を理解していないので、「は」と「が」の使い方について混乱したと考えられる。特に、C1グループは、【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】・【現象文】というパターンを繰り返して誤るので、構文の理解が不十分であるといえる。
B1、C1グループは、【引用節】・【理由節】というパターンを身につけていない。このほかに、C1グループは【強い従属節】というパターンも身につけていない。これらのパターンは学校文法でいう複文である。
上に述べたように、【典型的な判断文】は題述関係を、【現象文】は主述関係を示すパターンである。これらは文の内部の関係を示す単文である。題述関係か主述関係は一回きりである。それに対して、複文は従属節を含む文であり、題述関係か主述関係が二組ある。複文は、文の内部における二組の題述関係・主述関係の主従関係を示すものである。
この主従関係を理解していないので、従属節における「は」と「が」の使い方を誤るのだと考えられる。その中の【強い従属節】は、従属節に関連するパターンの中で基本的な使い方である。C1グループはこのパターンを身につけていないので、この主従関係を十分に理解していないことがわかる。
B1、C1グループは、【対比か並列を示す】というパターンを身につけていない。このパターンは学校文法でいう重文である。重文は単文を2つ対比的並列的に組み合わせた文である。複文のような主従関係ではなく、並列関係である。上の分析から、B1、C1グループでは、対比か並列を示す問題文に対して、「〜は〜が」か「〜が〜は」という回答があり、対比か並列の意識の弱い留学生がいることがわかる。C1グループにはB1グループよりさらに強くその傾向がみられる。これらの留学生は、この並列関係を理解していないので、「〜は〜が」か「〜が〜は」を回答したのである。あるいは、一文中に二つの「は」か「が」を繰り返して使うのを意識的に避けて回答した可能性がある。
A1、B1、C1グループは、【「〜は〜が」を含む特殊構文】というパターンを身につけている。A1、B1グループでは、このパターンに誤用がない。この構文はよく理解していると推測できる。
C1グループでは、【「〜は〜が」を含む特殊構文】というパターンを誤用した留学生が2人いるが、C1グループ全体としては、このパターンを身につけている。他のパターンに対する回答によってわかる構文理解力からは、C1グループはこの構文をよく理解しているとは考えられない。それよりも、一文中に二つの「は」か「が」を繰り返して使うのを意識的に避けて回答した可能性がある。
A1グループでは、【転位判断文】というパターンに誤用があることから、文と文の関係は、以上の各関係の中で最も難しく、理解しにくいことがわかる。【理由節】というパターンにも誤用がある。他のパターンに対する回答によってわかる構文理解力からは、文の主従関係を理解していないとは考えられない。A1グループは、付加要素が複雑である場合に、その文を完全には理解できずに誤用したという可能性がある。
以上の各パターンについて、要素と関係のあり方をまとめ、習得の難易の順に並べると次のようになる。
【転位判断文】は文と文の関係
【理由節】・【引用節】・【強い従属節】・【弱い従属節】は複文の中での主従関係
【対比か並列を示す】は重文の中での並列関係
【現象文】は単文の中での主述関係
【典型的な判断文】・【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】は単文の中での題述関係
を示すパターンである。
【転位判断文】というパターンに誤用者が多いことから、文と文の関係は、以上の各関係の中で最も難しく、理解しにくいものである。
第三章の調査の結果の分析から、留学生にとっては、「は」と「が」の使い方が難しく、身につけにくいことがわかる。調査対象の留学生の中で、日本ではじめて日本語を勉強する留学生が30人中14人いる。ほかの留学生は中国で日本語を勉強して日本に来た人である。その中に、中国の大学で日本語専攻として勉強してきた留学生がいるが、必ずしもその留学生たちが各パターンをよく身につけているとは言えない。各パターンでの回答が正しくても、それに相当する文法知識を有しているかどうかはわからない。中国の日本語教材にその文法知識の記載があるかどうかに関わっているためである。
そこで、「は」と「が」の教授法の試案を提供する前に、中国の日本語教材では、「は」と「が」の使い方をどのように説明しているのかを調べる必要がある。
中国の三つの出版社の日本語教材を調べてみた。「上海外語教育出版社」の「新編日語」・「上海訳文出版社」の「新編基礎日語」・「ハルビン工程大学出版社」の「総合基礎日本語」という三つの日本語教材である。この三つの教材は、日本語専攻の大学生が用いる初級から上級までの教材である。この三つの教材には相違点がある。その共通点と相違点は以下のとおりである。
初級教材である第一冊(第二冊)では、「は」と「が」の使い方を詳しく紹介するのではなく、簡略に紹介している。
「は」と「が」の使い方を紹介するとき、教材における順番と説明の内容が異なる。
詳しい内容は以下のとおりである。
日语句子一般可分为主题部和叙述部两大部分。主题部包括主体和对主体的修饰,补充部分。主题表示讲话的中心事项和范围,是一句话的题目,话题。叙述部是对主题部进行必要的叙述或说明,核心是谓语。
「は」是提示助词,读作「わ」。「は」可以提示各种句子成分。在这个句型中,「は」接在名词后面提示主题。「です」是助动词,表示对某个事物和状态的断定。「…は…です」相当于汉语的「…是…」。
(日本語訳:日本語の文は一般に主題部と叙述部に分けられる。主題部は主体と主体を修飾する部分を含む。主題は話す内容の中心事項と範囲を示し、文の題目か話題である。叙述部は主題に対する必要な叙述か説明であり、述べたいものは述語にある。
「は」は提示助詞で、「わ」と読む。「は」は文の各成分を取り立てることができる。この文型の中で、「は」は名詞につき、主題を表す。「です」は助動詞で、ある事物と状態に対して断定を示すものである。「…は…です」は中国語の「…是…」に当たる。)
提示助词「は」「も」可以提示很多成分,当提示以格助词「に」「から」「まで」「で」等构成的句子成分时,就会出现助词重叠的现象。提示「を」「が」构成的句子成分时,则是用「は」或「も」替代「を」或「が」。「は」除了提示主题外,还能表示对比或加强语气引出否定等含义。
(日本語訳:提示助詞「は」「も」はたくさんの成分を取り立てることができる。「に」「から」「まで」「で」などの格助詞からなる成分を取り立てるとき、助詞を重ねることになる。「を」か「が」という格助詞からなる成分を取り立てるとき、「は」か「も」は「を」か「が」を代替する。「は」は主題を提示するほかに、対比か強調を示し、否定の意味を引き出す働きもある。)
格助词「が」可用于对于客观事物的描述。当被描述的事物在句子中成为主语时用「が」表示。
(日本語訳:格助詞「が」は客観的な事物に対する描写に用いられることができる。描写される事物が、文の主語になるとき「が」で示す。)
それは家族の人たちがいっしょに上野公園で花見をしている写真でした。
「それは家族の人たちが…をしている」是动词持续体作谓语的定语句。日语定语句的主语要用「が」或「の」来表示。
(日本語訳:「それは家族の人たちが…をしている」は、動詞持続体が述語である連体修飾語である。日本語の連体修飾語の主語は「が」か「の」で示す。)
青木さんは中華料理が大好きです。
「…は」是主题,即叙述的题目。「中華料理が大好きです」是对象语和谓语词组。
表示人的好恶或水平高低时,感情或能力所及的对象用「が」表示,具有这种情感或能力的人用「は」表示。
「が」除了构成对象语和谓语词组外,还能构成主谓词组。
(日本語訳:「は」は主題であり、すなわち叙述的題目である。「中華料理が大好きです」は対象語と述語連語である。
人の好き嫌いか能力の高さを示すとき、感情か能力の対象は「が」で示し、この感情か能力を持っている人は「は」で示す。
「が」は対象語と述語連語のほかに、主述関係を示すことができる。)
以上のことから、「上海外語教育出版社」の「新編日語」という教材では、
○ 「は」の主題と対比の使い方、
○ 「が」の主語と対象語の使い方
を紹介していることがわかる。
△ 「従属節」における「が」の使い方
については若干紹介しているが、
×「判断文」・「現象文」という概念
×「判断文」と「現象文」における「は」と「が」の使い方
×「強い従属節」か「弱い従属節」などの概念
×「は」と「が」の使い分け
には少しも言及していない。
この教材の第二冊からは、「は」と「が」の使い方について詳しい説明はされておらず、ただ文型として紹介する形になっている。
(1)日语句子的基本结构和种类
从交际功能的角度,句子可以分为主题和述题两部分。
在日语中,谓语是句子中最核心、最重要的成分,它一般出现在句尾。其他成分有主语、补语、宾语、状语和定语。
按谓语所属的词类,句子可以分为判断句、描写句、存在句和叙述句。
(2)主题和述题
主题位于句首,说明谈论的话题或叙述的对象。主题以外的部分是述题,是对主题的说明、叙述和描写。判断句的主题――述题结构是 体言+は体言+です。
(3)提示助词“は”和“も”
在日语中,设定主题时要在体言后面加上提示助词等词语。其中最典型的是加上提示助词“は”。
除了“は”以外,“も”也是常见的提示主题的助词,它表示同类事物。
(4)判断句和断定助动词“です”
用体言+断定助动词作谓语,说明主题是什么的句子,叫做判断句。“です”是表示敬体的断定助动词,与它相对应的简体断定助动词是“だ”。
判断句的典型句型是体言+は体言+です。主题有时可以省略。还有无题的判断句。
(日本語訳:
(1)日本語の文の基本構造と種類
コミュニケーションの働きによると、文を主題と述題に分けられる。
日本語の中で、述語は文の最も中心的で重要な成分であり、文末に出るのが普通である。ほかの成分には、主語・補語・目的語・連用修飾語・連体修飾語がある。
述語の性質によると、文を判断文・描写文・存在文・叙述文に分けられる。
(2)主題と述題
主題は文の始めのところにあり、述べる話題かその対象を説明する。主題以外の部分は述題であり、主題に対する説明、叙述、描写である。判断文の主題――述題という形は体言+は体言+です。
(3)提示助詞“は” と“も”
日本語の中で、主題を設定するとき、体言の後に提示助詞をつける必要がある。その中で最も典型的なのは、提示助詞“は”をつけることである。
“は”のほかに、“も”も主題を提示する助詞であり、同類の事物を表わす。
(4)判断文と断定助動詞“です”
体言+断定助動詞という形を述語にし、主題を説明する文は判断文という。“です”は敬体を示す断定助動詞であり、それと対応する断定助動詞は“だ”である。
判断文の典型的な文型は体言+は体言+です。主題が省略されるときがある。無題の判断文もある。)
(5)格助词“が”@
“が”接在体言后面,表示动作,状态的主体,在句中构成主语。
(日本語訳:“が”は体言の後につき、動作、状態の主体を表し、文の主語をなす。)
(4)格助词“が”A
“が”构成对象语,表示某种状态的对象。
(日本語訳:“が”は対象語をなし、ある状態の対象を示す。)
(5)助词的重叠――“には”
提示助词“は”除了提示主题外,还可以接在一些格助词后面,用以加强语气,并与句尾的否定形式“〜ません”相呼应。
(日本語訳:提示助詞“は”は主題を提示するほかに、いくつかの格助詞の後につき、取立てたりして、文末の“〜ません”という否定の形式と対応する。)
(6)日语句法初步
日语句子的基本构造
日语句子的基本成分有主语、定语、状语、宾语、补语,还有一种独特的“对象语”。
A.主语:日语中有主语,但主语并不是不可缺少的成分。有的句子可以省略主语,有的句子无主语。所谓主语是动作或状态的主体,它一般由体言后续格助词“が”构成。定语句的主语可以用“の”顶替。这里有必要区别一下主题与主语:主题指一句话所叙述的对象,一般用体言后续提示助词“は”来表示。当然,还有其他表达方式。
(日本語訳:日本の文の基本的な構造
日本語の文には、主語・連体修飾語・連用修飾語・目的語・補語という基本的な成分があり、このほかに、“対象語”という独特な成分がある。
A.主語:日本語の文には主語があるが、主語は文の不可欠な成分ではない。主語が省略される文があり、主語がない文もある。主語というのは動作か状態の主体のことであり、体言とその後につく“が”からなる。連体修飾語の主語は“の”に代替されることができる。ここで主題と主語を区別する必要がある。主題は文の述べられる対象であり、体言とその後につく提示助詞“は”で示す。主語にはほかの表し方もある。)
以上のことから、「上海訳文出版社」の「新編基礎日語」という教材では、
○ 「は」の主題と対比の使い方、
○ 「が」の主語と対象語の使い方
○ 「判断文」という概念
を紹介していることがわかる。
△ 「主語」と「主題」の概念上の区別
△ 「従属節」における「が」の使い方
については若干紹介しているが、
×「現象文」という概念
×「現象文」における「は」と「が」の使い方
×「強い従属節」か「弱い従属節」などの概念
×「は」と「が」の使い分け
には少しも言及していない。
この教材の第三冊からは、「は」と「が」の使い方について詳しい説明はされておらず、ただ文型として紹介する形になっていることがわかる。
1.〜は〜です。/…是…。
本句型是判断句型。相当于中文的“〜是〜”。“は”是提示助词,读成“わ”,起提示强调作用。“です”是判断助动词“だ”的敬体,表示判断。
(日本語訳:本文型は判断文の文型である。中国語の“〜是〜”にあたる。“は”は提示助詞であり、“わ”と読み、提示か強調の働きがある。“です”は判断助動詞“だ”の敬体であり、判断を示すものである。)
“が”是表示主语的助词。
(日本語訳:“が”は主語を示す助詞である。)
3. “は”提示助词,读成“わ”,可以代替主格助词“が”提示强调主语,也可以代替其他格助词表示否定,提示、强调、对比的语气。
(日本語訳:“は”は提示助詞であり、“わ”と読む。主格助詞“が”を代替することができ、主語を提示か強調する。ほかの格助詞を代替することもでき、否定、提示、強調、対比の意味を表す。)
2.“が”表示喜欢的对象。
(日本語訳:“が”は好きな対象を表す。)
以上のことから、「ハルビン工程大学出版社」の「総合基礎日本語」という教材では、
△「は」の主題と対比の使い方、
△「が」の主語と対象語の使い方
△「判断文」の概念
については若干紹介しているが、
×「現象文」という概念
×「現象文」における「は」と「が」の使い方
×「対象語」という概念
×「従属節」の概念と「従属節」における「は」と「が」の使い方
×「は」と「が」の使い分け
には少しも言及していない。
この教材の第二冊からは、「は」と「が」の使い方について詳しい説明はされておらず、ただ文型として紹介する形になっていることがわかる。
三つの教材の差異点をまとめると、次の表のようになる。
教材 | 主題 | 対比 | 主語 | 対象語 | 主題と主語の区別 | 判断文の概念と使い方 | 現象文の概念と使い方 | 従属節における「が」の使い方 | 強い従属節と弱い従属節の概念 | 「は」と「が」の使い分け |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
「上海外語」 | ○ | ○ | ○ | ○ | × | × | × | △ | × | × |
「上海訳文」 | ○ | ○ | ○ | ○ | △ | ○ | × | △ | × | × |
「ハルビン」 | △ | △ | △ | △ | × | △ | × | × | × | × |
以上に示した三つの教材では、初級教材の第一冊の第1課か第2課において、「〜は〜です。」という文型を紹介している。これらの教材では、「は」を提示助詞と呼ぶ。
「上海外語」と「上海訳文」は、「主題」という用語を使い、その概念を説明しているが、「ハルビン」では、「主題」という用語を使っておらず、簡略に説明している。
三つのどの教材においても、「が」の主語としての使い方を説明しているが、「現象文」という概念に言及していない。初めて「が」に言及するのは、「上海訳文」では第一冊8課、「上海外語」と「ハルビン」では第一冊第2課にある。「ハルビン」は、「が」について最も簡略に説明している。
「は」の対比か取り立ての使い方については、どの教材でも紹介しているが、重文にある並列関係を示すということは触れていない。初めてこの使い方が出るのは、「上海外語」と「上海訳文」は第一冊第8課、「ハルビン」は第一冊第3課にある。「ハルビン」では、「は」の対比について最も簡略に説明している。
「が」の対象語としての使い方については、どの教材でも紹介している。初めてこの使い方が出るのは、「上海外語」は第一冊第10課、「上海訳文」は第一冊第4課、「ハルビン」は第一冊第8課にある。「ハルビン」は、「対象語」という用語を使っておらず、簡略に説明している。
「主題」と「主語」の区別について、「上海訳文」だけが少し触れている。
どの教材においても、「現象文」の概念とその使い方を説明していないが、「判断文」については、「上海訳文」は比較的に詳しく、「ハルビン」は簡略に説明している。二つの教材とも第一冊第1課で説明している。それに対して、「上海外語」は、「判断文」の文型を説明しているが、「判断文」の概念には触れていない。
三つの教材とも共通して、従属節における「は」と「が」の使い方を重要視していない。「上海訳文」は、文を単文と複文に分け、複文の中には重文を含むということを紹介している。しかし、従属節の分類とその各従属節における「は」と「が」の使い方については、どの教材でも少しも触れていない。「上海外語」と「上海訳文」は、連体修飾語の主語に「が」か「の」を使うということだけを簡略に説明しているが、「ハルビン」は、この概念とその使い方について触れていない。
このほかに、どの教材でも、「転位判断文」「指定文」に少しも言及していない。
以上のことから、三つの教材では、「は」と「が」の使い方を系統的に紹介していないことがわかる。さらに、初級教材でも上級教材でも「は」と「が」の使い分けを説明していない。
第四章の第一節において、中国の三つの出版社の日本語教材を比べた。教材では、「は」の主題と対比の使い方、「が」の主語と対象語の使い方を説明しているが、「上海訳文」だけが少し「主題」と「主語」という用語の区別を言及しているだけで、全体としては「は」と「が」を文法的に説明していない。このことから、留学生たちは、「主題」と「主語」という用語がはっきり区別できないことが予想できる。
「上海外語」を除く、ほかの二つの教材では、「判断文」という概念を説明しているが、どの教材でも、「現象文」という概念や「現象文」における「は」と「が」の使い方には少しも言及していない。調査の結果の分析から、【現象文】というパターンを身につけていない留学生が多いことがわかった。その原因は、教材で用法を説明していないからであると考えられる。
また、「ハルビン」を除く、ほかの二つの教材では、従属節に「が」を使うという用法に少し触れているが、どの教材でも、従属節の分類とその各従属節における「は」と「が」の使い方には少しも触れていない。調査の結果の分析から、【強い従属節】・【引用節】・【理由節】というパターンを身につけていない留学生がいることがわかった。その原因は、教材がその従属節に関する詳しい用法を説明していないからであると考えられる。
「転位判断文」の概念と使い方についてはどの教材でも全く言及していない。調査の結果の分析から、【転位判断文】というパターンを身につけていない留学生が多いことがわかった。その原因は、教材がその用法を説明していないからであると考えられる。
教材では、上のような「は」と「が」に関する基本的な概念と用法を詳しく説明していないので、日本語学習者はその使い方を身につけることができないと考えられる。さらに、初級教材でも、上級教材でも「は」と「が」の使い分けを説明していない。これにより、日本語学習者が「は」と「が」の使い分けを完全に身につけることは不可能であることがわかる。
では、「は」と「が」の使い方をどのように教えればよいのだろうか。また、どのような順番で教えればよいのだろうか。
第三章の第三節において、留学生の誤用の原因と傾向を分析した。各パターンを要素と関係のあり方でまとめ、習得の難易の順に次のように並べた。
【転位判断文】は文と文の関係
【理由節】・【引用節】・【強い従属節】・【弱い従属節】は複文の中での主従関係
【対比か並列を示す】は重文の中での並列関係
【現象文】は単文の中での主述関係
【典型的な判断文】・【「Xハ」が「Xヲ」を代行する文】は単文の中での題述関係
を示すパターンである。
この中で、【転位判断文】という文と文の関係は、以上の各関係の中で最も難しく、理解しにくいものがわかる。
これらの関係は易しさの順番から言うと、単文の中での題述関係、主述関係・重文の中での並列関係・複文の中での主従関係・文と文の関係になる。
初級段階では、先に題述関係、その次に主述関係を紹介すればよい。上の三つの日本語教材では、最初「〜は〜です。」という文型を紹介し、主題と述題の関係を説明している。これは題述関係が理解しやすいためである。しかし、教材のその後のところに「が」の主語の使い方を紹介しているが、主述関係に触れていない。さらに、「主題」と「主語」の概念の区別ははっきりしていない。
このような状況に対応するために、この二つの関係を紹介して、その概念を区別する必要がある。中国語では、主題と主語の区別がないので、二つの概念を混乱する可能性がある。第三章第一節の第一項では、この二つの概念をよく区別するために、主題を題目語、主語を主格語と呼んでいる。「は」は提示助詞、「が」が主格という格助詞である。両者は次元が違うのである。すなわち、題述関係を示すとき、「は」がつくものは「題目語」であり、主述関係を示すとき、「が」がつくものは「主格語」である。題述関係は「題目―解説」という構造であるのに対して、主述関係は「主語―述語」という構造である。
「判断文」は題述関係を示し、「現象文」は主述関係を示す文である。「判断文」が話し手の主観か判断が入っている文であるのに対して、「現象文」は現象をありのままうつし、現象と表現の間に話し手の主観がまったく入り込まない文である。
「判断文」をよく理解するために、次のような例文を挙げる。「判断文」のうち、名詞述語の「判断文」が典型的で最も多い。形容詞か形容動詞の述語も「判断文」である。
主格を取り立てて主題にする文が最も多いが、目的格を取り立てて主題にする文もある。この使い方をよく理解するために、次のような例文を挙げる。
「Xハ」が「Xを」を代行する文の例文「現象文」の使い方をよく理解するために、次のような例文を挙げる。その例文はすべて典型的な「現象文」である。例文の下で述べているように、初級段階では、出来事を表す「現象文」に「が」を使うことを教えればよい。これを身につけた上で、「は」を使う場合があるということを教えてもよい。それは、「は」を使う場合には、文脈を考慮する必要があるためである。すなわち、現象(できごと)おこしの文(はじめ文)の「現象文」には「が」を使い、現象(できごと)続けの文(続け文)の「現象文」には「は」を使うということである。ここでは、典型的な「現象文」の例文だけを挙げることにする。
「現象文」の例文 初級段階では、「判断文」には普通「は」を使い、「現象文」には普通「が」を使うことを教えてもよいが、中級段階になると、「現象文」・「判断文」は「が」・「は」と必ずしも一対一に対応しているわけではないことを教える必要がある。それを教えなければ、日本語学習者は、文章の中で「は」が使われる文をすべて「判断文」と理解してしまうためである。
第一章第二節の第一項の「単文の性質の分類」では、早川勝広(1986)の理論を紹介している。早川の学説は原理的であるとともに、実践的である。中国人の日本語学習者にとって理解しやすいと思われるので、説明するとき、その理論を引用すればよい。早川は、文を「現象文」と「判断文」に分け、「現象文」を現象(できごと)おこしの文(はじめ文)と現象(できごと)続けの文(続け文)に分けている。「現象文」の型の「名詞・が+動詞(時制)」(はじめ文)と「名詞・は+動詞(時制)」(続け文)をまとめて、ともに「〜動詞(時制)」の形にしている。さらに、時制をともなった動詞が述語であるということが、「現象文」の本質的特徴であると指摘している。
さらに、文が時制を有するか否かが、文の性質を決定すると述べ、時制をともなった動詞述語文は「現象文」であり、名詞述語文、時制のない動詞述語文、「〜動詞(時制)のだ」のような文は「判断文」であると述べている。
すなわち、「現象文」の中で、現象(できごと)おこしの文(はじめ文)を表す場合は、「が」を使うのが普通である。現象(できごと)続けの文(続け文)を表す場合は、「は」を使うのが普通である。
以上のことから、「判断文」と「現象文」における「は」と「が」の使い方は、一回きりで紹介するものではないといえる。学習過程とともに、だんだん難しい内容を身につけていくものである。
単文の中での題述関係・主述関係を紹介した後で、重文の中での並列関係を紹介するべきだと思われる。
第四章の第一節の日本語教材では、「は」には、主題のほかに、対比という使い方があると説明している。この対比の使い方は、重文に表われることが多いが、教材では重文とそれが示す並列関係には言及していない。日本語学習者たちは、学習過程の中で対比という使い方があるとわかっていても、並列関係を意識していないので、エラーが生じてくるのだと考えられる。それを避けるために、対比の使い方があるということを教えるだけではなく、それが使われている文の特徴も教える必要がある。
重文は、単文を2つ対比的並列的に組み合わせた単純な文である。レトリック「対句法」に親しんでいる中国人の日本語学習者にとって、同じ構造の重文は理解しやすいと考えられる。そして、重文は対比か並列という関係しかないので、それほど複雑ではない。これにより、日本語学習者にとって、単文の次は、重文における「は」と「が」の使い方を身につけるほうがいいと考えられる。
重文では、対比を示すために、「〜は〜は」か「〜が〜が」を使うことになる。「〜は〜は」のほうが多く使われる。
重文における「は」と「が」の使い方をよく理解するために、次のような例文を挙げる。重文における「は」と「が」は対比か並列を示す。対比を示すとき、「〜は〜は」のほうが典型的で最も多いので、以下は「〜は〜は」の例文を挙げる。例文(13)(14)(16)は対比専用で、その「は」は主題を示すものではない。例文(15)は対比兼用で、その「は」は主題を示すとともに、対比を示すものである。
重文における「対比」を示す例文
連体修飾語に「が」を使うということを簡略に説明している教材があるが、従属節の概念と分類については言及していない。「上海訳文」は、文を単文と複文に分け、複文には主従関係を示す主従文と、並列関係を示す並列文があると紹介している。すなわち、中国の日本語教材では、文を単文・重文・複文に分けるのではなく、単文・複文に分けているのである。複文の中に重文を含むという形である。
重文と複文における「は」と「が」の使い方を理解しやすくするために、日本の学校文法での単文・重文・複文の分け方を教えるべきだと考えられる。今まで、単文の中での題述関係・主述関係を教えてから、重文の中での並列関係を教えるべきだと述べていた。その次に、複文における主従関係を教えるべきである。
第四章の第一節の日本語教材では、連体修飾語に「が」を使うということを説明しているが、主従関係を理解する重要性を説明していない。連体修飾語に「が」を使うということがわかっていても、主従関係を意識していないので、エラーが生じてくるのだと考えられる。また、従属節にはこのような「連体修飾節」だけではなく、「仮定節」・「名詞節」などもある。主従関係であるが、主従関係が緊密であるかどうかということは「は」と「が」の使い方に関わっている。
主従関係が緊密である従属節は「強い従属節」で、その主格語に「が」をつける。主従関係が緊密ではない従属節は「弱い従属節」で、これにおける「は」と「が」の使い方は単文での使い方と同じである。理由を示す従属節は「理由節」であるが、それが文の焦点になっている場合、「強い従属節」になり、文の焦点になっていない場合、「弱い従属節」になる。このほかに、「〜と言う」「〜と思う」などの「〜と」に代表される「引用節」もある。「引用節」における「は」と「が」の使い方は単文での使い方と同じである。
以上のように、主従関係を示す複文には、「強い従属節」・「弱い従属節」・「引用節」・「理由節」という従属節がある。このような従属節の使い方は一斉に教えることはできない。これらの従属節には習得の難易の順がある。
初級段階では、主従関係を理解する上で、先に「強い従属節」を教えるべきだと考えられる。「強い従属節」は従属節の中での基本的な使い方であるためである。「強い従属節」の中には、「連体修飾節」・「仮定節」・「名詞節」という難易の順番もある。日本語の教材では、「連体修飾節」における「が」の使い方を説明しているが、これは、この使い方が易しく、理解しやすいためである。すなわち、初級段階では、まず「強い従属節」の「連体修飾節」を教え、中級段階になると、「仮定節」・「名詞節」を教えるという順番がよいと思われる。
「弱い従属節」と「引用節」は、「は」と「が」の使い方が単文での使い方と同じであるので、強い従属節の次に教えるべきであると考えられる。
「理由節」には「強い従属節」と「弱い従属節」の使い方がある。ほかの従属節より使い方が複雑であるので、ほかの従属節を身につけた上で教えるべきである。
主従関係を示す複文の各従属節の使い方を理解するために、次のような例文を挙げる。
「強い従属節」は従属節の中で基本的な使い方であるので、「連体修飾節」・「仮定節」・「名詞節」の例文を二つずつ挙げる。「強い従属節」の中で「時間節」などもあるが、ここで一々挙げることはしない。「弱い従属節」における「は」と「が」の使い方は、単文での使い方と同じであるので、「は」を使う例文と「が」を使う例文を一つずつ挙げる。「引用節」も同じ考えであるので、「は」を使う例文と「が」を使う例文を一つずつ挙げる。「理由節」は「強い従属節」になる場合と「弱い従属節」になる場合があるので、(27)は「強い従属節」で「が」を使う例文、(28)は従属節の中で対比の「は」を使う例文である。
第四章の第一節の初級教材では、判断文の「典型的な判断文」を紹介しているが、その後の初級教材でも上級教材でも「転位判断文」の使い方に触れていない。「転位判断文」は、述部に、前に出てきた名詞や動詞と関係のある名詞や動詞や形容詞があり、伝えたい部分が主語である文である。すなわち、述部を主題にするので、それを理解するには、前文の文脈が要るのである。
上の単文の題述関係・主述関係、重文の並列関係、複文の主従関係は文の中での各関係を示すものであるが、「転位判断文」は文と文の関係を示すものである。文脈を考慮する力が弱いので、エラーが生じてくるのだと考えられる。調査の結果の分析から、このパターンを誤用した留学生が多いことがわかる。このパターンの使い方は難しく、身につけにくいので、中級以上の段階で教えるほうがよいと思われる。
文と文の関係を示す「転位判断文」の使い方を理解するために、次のような例文を挙げる。述部を主題にするためには文脈がいるので、会話文を選ぶ。
以上のことにより、
は」と「が」の学習過程は単文(題述関係・主述関係) ⇒ 重文(並列関係) ⇒ 複文(主従関係)である。
単文では、判断文(典型的な判断文・「Xハ」が「Xヲ」を代行する判断文) ⇒ 現象文という順番である。
複文では、強い従属節 ⇒ 弱い従属節 ⇒ 引用節 ⇒ 理由節という順番である。
以上の「は」と「が」の使い方を身につけた上で、文と文の関係を示す「転位判断文」を学習するという順番である。
「は」と「が」の使い方は多岐にわたるので、その全てを扱い、説明することはできない。本研究では、「は」と「が」の使い分けのうち、題目語の「は」と主格語の「が」の使い分けを主な考察対象にした。
まず、単文における題述関係と主述関係、重文における並列関係、複文における主従関係を考察した。このほかに、文と文の関係を考慮する「転位判断文」も考察した。これらの各レベルの要素間の関係と「は」と「が」の使い方の関係を明らかにすることによって、「は」と「が」の使い方を教える適切な教授法を見つけようとしたのである。
アンケート調査結果の分析から、各パターンを間違えた留学生は、要素間の関係を認識していないので、エラーを生じているのだと考えられる。
適切な教授法を見つけるために、中国の日本語教材を調べた。その結果、中国の日本語教材では、「は」と「が」の使い方を簡略に記載していることがわかる。理論はその次で、文型を紹介する形で「は」と「が」の使い方を身につけさせる傾向がある。しかし、「は」と「が」の正しい使い方を身につけるためには、ある程度の文法知識を有する必要がある。文法知識の説明が簡略すぎると、日本語学習者は、「は」と「が」の使い方がわからないことになる。文章を書くとき、「は」と「が」のどちらを使えばよいか分からなくなり、エラーを生じてしまうのである。
「は」と「が」の正しい使い方を身につけるためには、文の性質と文が示す関係を先に理解させる必要がある。各関係の難易の順があるので、段階的に教えるほうがよいと考えられる。第四章の第二節では、その教授法の試案を出した。それは文の要素と関係のあり方から「は」と「が」の使い方を身につけさせる教授法の試案である。
しかし、実際に授業をしていないので、その試案にどのような効果があるのかがわからず、予測段階にとどまっているのである。
「は」と「が」の使い方は、複雑で、日本においても学者により文法理論が違っている。
文章を書いているとき、常に「は」と「が」のどちらを使えばいいのかに悩んでいる。理論を身につけても、実際に使用するとき、間違えることがよくある。これから、理論を実践と結びつけ、自分が成長するとともに、有効な「は」と「が」の使い方の教授法を研究し続けたい。ほかの助詞と助動詞などについての教授法も、これからの課題として研究したい。
大学院の生活を長く延ばしていましたが、三年半あっという間の感じでした。調査、研究にあたって、多くの方にご指導、ご協力をいただきました。修士論文を書くにあたって、自分の日本語能力と研究能力がまだまだであるということをつくづく感じました。論文を書いている間、早川勝廣先生には、多くの貴重なご教示をいただきました。また、三年半にわたって懇切丁寧なご指導をいただきました野浪正隆先生に、厚く御礼申し上げます。そして、日本語のチェックをしていただきました高田さん、村上さんにも御礼申し上げます。二人の方から多くの貴重なアドバイスをいただきました。皆様のお陰で、修士論文を書き上げることができました。最後に、調査に協力して下さった方々に、御礼申し上げます。
野田尚史(1985)『日本語文法 セルフ・マスターシリーズ1 はとが』くろしお出版